のを判断することであり、離別するときにも使う。そんなことの裏に、神事関係がはいっていることがわかる。ことさかのめやっこは、一つの贖罪のために出すもので、出すのは夫である。あがないを受けるのは普通は神であるが、神が人間に代わってくることはある。あるいは、仲介者がとることもある。祓えをする者がとるのが普通であるから、謝礼とも考えられる。
 夫婦関係には宗教的観念がはいっている。妻が離別されるわけではないが、女が相当な年になると夫から離れる。これを、「しとね遠慮」と言い、夫の坐っている所から去るのである。そのあとには控えの人たちが用意してある。もしそれをせず長く添いとげると、大名間では、あの奥方は色深いとて笑いものにされ、早く別れねばならぬことになる。これが中世だと、仏教的に解釈し、女は罪が深いから早く仏道にはいらねばならぬ、尼にならねばならぬと考えた。
 紀有常の妻は、妻でいて尼になっている。伊勢物語のなかでも特に小説的な話だが、われわれから考えるとあわれは少なくなる。そんな尼は離別しても出て行くのではなく、夫婦関係をつづけながら尼になっているのである。有常は次の妻と結婚する。これは当たり
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