すべきでないと考え、相手にしなかった。
しかし、昔はしばしば他人が間にはいって、「うはなりうち」ということが行なわれた。自分の夫に新しい愛人ができたとき、その家へ、元からの妻が自分の身内をかたろうて攻めかけて行き、家へ乱入し、その家の道具をめちゃめちゃにしてくる。これは、別に相手を傷つけるためではない。何のためにするのかというと、根本は、自分らの面目を立てるためで、それをせぬと顔が立たぬのである。つまり、一つの形式化した低い道徳で、道徳に足をかけかけた、もう少しで道徳になるものと言うべきであろう。
自分の女房を犯した男があったとき、その男を殺すことを「めがたきうち」と言うが、これは道徳になっている。このほうは、密通した男と妻とを一度に討つことを条件と考えているようだが、妻の意志であっても、また強いられたにしても、その男を討つのが根本で、世間の制裁がはげしくなるにつれて変わったのだ。めがたきうちは、下級の者のもっていた低い道徳であったのが、武士の階級の道徳にはいっていったのである。その過渡期には、男らしくないことだ、という新しい見解で、だんだん有識階級から退けられ、軽んぜられた例もた
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