いってゆくので、それを男のうえにも感じるのである。語というものの支配権は、たいしたものである。女のねたみについては、この間、柳田先生の話を引いたように、われわれ男女の間へ、他物を介在させまいとする感情である、ということは動くまい、と言うておいた。
「うはなりねたみ」は、普通のねたみではない。昔の族人生活は、家単位のようであって、いくつもの家族に別れていることがあるので、妻が外に住んでいることもかなりある。うわなりとは、この族人生活の間において、後からできてきた妻のことで、後妻と書き、前からの妻は先妻と書いて、こなみと言うている。他に書きようがないので、そういう字を当てたのである。この語は大昔から使うていて、うわなりねたみというのは、第二夫人を夫のそばに近づけまい、近づけるのを嫌う心と説明しているが、うわなりねたみは、近代になって非常に抑圧せられた。ねたみは、女のもつ不道徳だと考えられ、教化(道徳と政治との結びつき)のほう、宗教のほうから、これを排斥している。だから、だんだんと家族の中の私事になってゆき、外へもって出ぬことになって、「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」などと言うて、他人はこの間に介入
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