味」に傍点]を狙つた点に於て、古語も外国語も一つであつた。
一方破調の詩が盛んになつて、むしろ定型によらない事が原則である様になつて来たが、特殊な詩語は絶えては居ない。この破調の詩の行はれる動機になつたものは、小説に於ける自然主義の流行であるが、日本では、かう言ふ風に象徴派と自然派とが対立すると言つた形を取つて来たのが不思議である。外国に必至的なものであつた象徴派・浪漫派の対立は、我国では見る事が出来なかつた。今から考へれば、日本の詩に限り、象徴派が即浪漫派であつたと謂ふ、不思議な姿を見せてゐる。つまり我国では、ろまんちつく[#「ろまんちつく」に傍点]な詩の運動は一足飛びに、理論的に象徴派に入つた事になる。それと共に、岩野泡鳴氏の様に、象徴派と自然派とを同時に歩んで居つた者さへある。併しどちらかと言ふと、我国現在総べての詩人の所属してゐるほど盛んな象徴主義も、やはり大なり小なり自然主義を含んで来てゐる。唯、程度の差を以て作品並びに作家の流派を分ける事になつてゐるのではないか。その意味に於て現在口語ばかりによつて、現実の社会生活・政治意識を表現してゐる一群が、象徴派に対する自然派運動を行ふと言ふ外貌を持つてゐると見るべきであらう。此派の詩は、技巧意識を別にしてゐるのだから、自ら文体に特殊な詩情を見せてゐないが、若し、個々の詩語の効果を没却して省みないと言ふ点があつたら反省してよい。合理的な立場から言へば、当然現代語の構造によつて発想してゆく詩が、有望である筈だが、詩の欲する言語・文体は、必しも今経過しながら在る現代語を以て、最上の表現性能を持つたものと考へる訣にはいかない。われ/\の詩が、当然未来を対象とせなければならない所に、重点を置いて考へれば、詩に於ては、未来語の開拓発見を疎にしてはならない。古典派である私なども、現在語ばかりを以てする詩の稽古もするが、時としてはさうして出来た作物が、まるで裸虫である様な気のする事がある。おそらく多くの場合、現実の観察や批評に過ぎなくて、それにつゞく未来を、その文体から展き出さうとしてゐない点に、詩の喪失があるのであらう。私の話は、詩語としての古語を肯定した。併しこれは、最近までの歴史上の事実の肯定に過ぎない。そしてつゞいて、詩に於ける現在語並びにその文体を悲観して来た。併しこれは、未来語発想と言ふことを土台として考へる時、もつ
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