見られると思ふ。
久しく用ゐられてゐる語を少しあげてみると、「しゞま」これに、沈黙・静寂など漢字を宛てゝ天地の無言・絶対の寂寥など言つた思想的な内容までも持たしてゐるが、われ/\は詩の読者として何度この語にゆき合うたか。併し辞書などには、それに似た解釈をしてゐるとしても、其は作家が辞書から得た知識だからである。古い用法では、むしろ宗教的な一種の儀礼である。無言の行とも言ふべき事であり、時としては黙戯を意味してもゐる。併しさう言ふ私自身すらも、沈黙・静寂などの方が正しい第一義である様に感じる程、詩には使ひ古されて来た。
「あこがれ」この語も明治の詩以来古典の用語例が拡げて使はれた。これは「あくがれ」といふ形もあるのであるが、詩語として承け渡した詩人たちは「こがる」と言ふ焦心を表す語に、接頭語あ[#「あ」に傍線]のついたものと感じた為に、「あこがれ」の方ばかり使つた。これは、王朝に著しく見える語で、霊魂の遊離するを言つた。自然、それほどひどく物思ひする場合にも使つてゐる。だから、詩語としての用法は恋愛的に柔かになつてゐるが、特殊な意味を失つてゐる。憧憬といふ宛て字は、半ば当つてゐる。
象徴派風の表現が勢を得てから、「えやみ」(疫)だとか「すゆ」(饐ゆ)など言つた辛い聯想を持つた語が始終使はれた。さうかと思ふと、近代感覚を以て、古語にない語を作つたのもある。運命、宿命などに「さだめ」と言ふ全く一度も使つた事の無い語を創造した。西洋的な情熱を表す必要から、接吻なども、国語で表さうとして、早くから「くちづけ」と言ひ始めて来たが、此も無い語で、寧「くちぶれ」とでも言ふべきところであつた。王朝まで溯る事の出来る用語例は、「くちをすふ」と言ふのもあり、もつと適当な古今に通じた言ひ方は、「くちをよす」或は「くちよせ」であつた。かういふ風に、古語の不穿鑿と、造語欲から出来たものもある。山脈を「やまなみ」と言ふ事は、後に短歌にも広く用ゐられるが、やはり詩が初めであらう。これも語通り山のならび、つゞいてゐる峯を言ふので、山脈に当る語ではなかつた。これは成程勘違ひをしさうな語である。これと同じ意味に於て、特殊な外国語を使つたり、仏《ブツ》語や、東洋語を用ゐたりして、詩語の範囲は拡げられた。象徴派以前からも此風は盛んであつたが、有明・泣菫氏以後甚しくなつた時期がある。言語の異郷趣味[#「異郷趣
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