て来るか。これも空想としてやり過したくない。必、過去半世紀に渉《わた》る日本詩人たちの努力が、無意識ながらそうした方向に向いていただろう。それで、その暗示らしいものを生してゆくのが、最正しい道だろう。
ここに到って、私は最痛切に悲観した翻訳詩体を意味あるものとして、とりあげねばならなくなった。翻訳詩を目安として、新しい詩を展示しようとしている詩人たちの努力を無にせずにすむのである。詩の未来文体の模型として、詩人の大半が努力しているのが翻訳詩である。原作に対する翻訳者の理会力が、どんな場合にもものを言うが、その理会が完全に日本語にうつして表現せられた場合は、そこに日本の詩が生れる訣《わけ》である。「海潮音」に示された上田敏さんの外国詩に対する理会と、日本的な表現力は、多くの象徴詩などをすっかり日本の詩にしてしまった。
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流れの岸の一もとは
み空の色のみづあさぎ
波こと/″\くくちづけし
波こと/″\く忘れゆく
[#ここで字下げ終わり]
われ人共に、すぐれた訳詩だと賞讃《しょうさん》したものであるが、翻訳技術の巧みな事は勿論ながら、其所には原詩の色も香も、すっかり
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