て、早くから「くちづけ」と言い始めて来たが、此も無い言葉で、寧《むしろ》、「くちぶれ」とでも言うべきところであった。王朝まで溯《さかのぼ》る事の出来る用語例は、「くちをすふ」と言うのもあり、もっと適当な古今に通じた言い方は、「くちをよす」或は、「くちよせ」であった。こういう風に、古語の不|穿鑿《せんさく》と、造語欲から出来たものもある。山脈を「やまなみ」と言う事は、後に短歌にも広く用いられるが、やはり詩が初めであろう。これも言葉通り山のならび、つづいている峯《みね》を言うので、山脈に当る言葉ではなかった。これは成程勘違いをしそうな言葉である。これと同じ意味に於て、特殊な外国語を使ったり、仏語《ぶつご》や東洋語を用いたりして、詩語の範囲は拡げられた。象徴派以前からも此風は盛んであったが、有明・泣菫氏以後甚しくなった時期がある。言語の異郷趣味[#「異郷趣味」に傍点]を狙った点に於て、古語も外国語も一つであった。
一方破調の詩が盛んになって、むしろ定型によらない事が原則である様になって来たが、特殊な詩語は絶えては居ない。この破調の詩の行われる動機になったものは、小説に於ける自然主義の流行であるが、日本では、こう言う風に象徴派と自然派とが対立すると言った形を取って来たのが不思議である。外国に必至的なものであった象徴派・浪漫派の対立は、我が国では見る事が出来なかった。今から考えれば、日本の詩に限り、象徴派が即浪漫派であったと言う、不思議な姿を見せている。つまり我が国では、ろまんちっく[#「ろまんちっく」に傍線]な詩の運動は一足飛びに、理論的に象徴派に這入《はい》った事になる。それと共に、岩野泡鳴氏の様に、象徴派と自然派とを同時に歩んで居た者さえある。併しどちらかと言うと、我が国現在総べての詩人の所属しているほど盛んな象徴主義も、やはり大なり小なり自然主義を含んで来ている。唯、程度の差を以て作品並びに作家の流派を分ける事になっているのではないか。その意味に於て現在口語ばかりによって、現実の社会生活・政治意識を表現している一群が、象徴派に対する自然派運動を行うと言う外貌を持っていると見るべきであろう。此派の詩は、技巧意識を別にしているのだから、自ら文体に特殊な詩情を見せていないが、若《も》し、個々の詩語の効果を没却して省みないと言う点があったら反省してよい。合理的な立場から言えば、当然現代語の構造によって発想してゆく詩が、有望である筈だが、詩の欲する言語・文体は、必しも今経過しながら在る現代語を以て、最上の表現性能を持ったものと考える訣にはいかない。われわれの詩が、当然未来を対象とせなければならない所に、重点を置いて考えれば、詩に於ては、未来語の開拓発見を疎《おろそか》にしてはならない。古典派である私なども、現在語ばかりを以てする詩の稽古《けいこ》もするが、時としてはそうして出来た作物が、まるで裸虫である様な気のする事がある。おそらく多くの場合、現実の観察や批評に過ぎなくて、それにつづく未来を、その文体から展《ひら》き出そうとしていない点に、詩の喪失があるのであろう。私の話は、詩語としての古語を肯定した。併しこれは、最近までの歴史上の事実の肯定に過ぎない。そしてつづいて、詩に於ける現在語並びにその文体を悲観して来た。併しこれは、未来語発想と言うことを土台として考える時、もっと意義を持って来る。単なる現代語は、現代の生活を構成するに適している、と言う様な合理論に満足出来ぬのである。未来語の出て来る土台として現在語を考えるのである。未来詩語・未来文体はどうして現れて来るか。これも空想としてやり過したくない。必、過去半世紀に渉《わた》る日本詩人たちの努力が、無意識ながらそうした方向に向いていただろう。それで、その暗示らしいものを生してゆくのが、最正しい道だろう。
ここに到って、私は最痛切に悲観した翻訳詩体を意味あるものとして、とりあげねばならなくなった。翻訳詩を目安として、新しい詩を展示しようとしている詩人たちの努力を無にせずにすむのである。詩の未来文体の模型として、詩人の大半が努力しているのが翻訳詩である。原作に対する翻訳者の理会力が、どんな場合にもものを言うが、その理会が完全に日本語にうつして表現せられた場合は、そこに日本の詩が生れる訣《わけ》である。「海潮音」に示された上田敏さんの外国詩に対する理会と、日本的な表現力は、多くの象徴詩などをすっかり日本の詩にしてしまった。

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流れの岸の一もとは
み空の色のみづあさぎ
波こと/″\くくちづけし
波こと/″\く忘れゆく
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われ人共に、すぐれた訳詩だと賞讃《しょうさん》したものであるが、翻訳技術の巧みな事は勿論ながら、其所には原詩の色も香も、すっかり
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