まう。郭公《かっこう》は早く鳴き嗄《か》らし、時鳥《ほととぎす》が替って、日も夜も鳴く。
草の花が、どっと怒濤《どとう》の寄せるように咲き出して、山全体が花原見たようになって行く。里の麦は刈り急がれ、田の原は一様に青みわたって、もうこんなに伸びたか、と驚くほどになる。家の庭苑《その》にも、立ち替り咲き替って、栽《う》え木《き》、草花が、何処まで盛り続けるかと思われる。だが其も一盛りで、坪はひそまり返ったような時が来る。池には葦が伸び、蒲《がま》が秀《ほ》き、藺《い》が抽《ぬき》んでて来る。遅々として、併し忘れた頃に、俄《にわ》かに伸《の》し上るように育つのは、蓮の葉であった。
前年から今年にかけて、海の彼方の新羅の暴状が、目立って棄て置かれぬものに見えて来た。太宰府からは、軍船を新造して新羅征伐の設けをせよ、と言う命のお降《くだ》しを、度々都へ請うておこして居た。此忙しい時に、偶然流人|太宰員外帥《だざいいんがいのそつ》として、難波に居た横佩家《よこはきけ》の豊成は、思いがけぬ日々を送らねばならなかった。
都の姫の事は、子古の口から聴いて知ったし、又、京・難波の間を往来する頻繁な公私の使いに、文をことづてる事は易かったけれども、どう処置してよいか、途方に昏《く》れた。ちょっと見は何でもない事の様で、実は重大な、家の大事である。其だけに、常の優柔不断な心癖は、益々つのるばかりであった。
寺々の知音に寄せて、当麻寺へ、よい様に命じてくれる様に、と書いてもやった。又処置方について伺うた横佩墻内の家の長老《とね》・刀自《とじ》たちへは、ひたすら、汝等の主の郎女《いらつめ》を護って居れ、と言うような、抽象風なことを、答えて来たりした。
次の消息には、何かと具体した仰せつけがあるだろう、と待って居る間に、日が立ち、月が過ぎて行くばかりである。其間にも、姫の失われたと見える魂が、お身に戻るか、其だけの望みで、人々は、山村に止って居た。物思いに、屈託ばかりもして居ぬ若人たちは、もう池のほとりにおり立って、伸びた蓮の茎を切り集め出した。其を見て居た寺の婢女《めやっこ》が、其はまだ若い、もう半月もおかねばと言って、寺領の一部に、蓮根を取る為に作ってあった蓮田《はちすだ》へ、案内しよう、と言い出した。あて人の家自身が、それぞれ、農村の大家《おおやけ》であった。其が次第に、官人《つかさびと》らしい姿に更《かわ》って来ても、家庭の生活には、何時までたっても、何処か農家らしい様子が、残って居た。家構えにも、屋敷の広場《にわ》にも、家の中の雑用具《ぞうようぐ》にも。第一、女たちの生活は、起居《たちい》ふるまい[#「ふるまい」に傍点]なり、服装なりは、優雅に優雅にと変っては行ったが、やはり昔の農家の家内《やうち》の匂いがつき纏《まと》うて離れなかった。刈り上げの秋になると、夫と離れて暮す年頃に達した夫人などは、よく其家の遠い田荘《なりどころ》へ行って、数日を過して来るような習しも、絶えることなく、くり返されて居た。
だから、刀自たちは固《もと》より若人らも、つくねん[#「つくねん」に傍点]と女部屋の薄暗がりに、明し暮して居るのではなかった。てんでに、自分の出た村方の手芸を覚えて居て、其を、仕える君の為に為出《しいだ》そう、と出精してはたらいた。
裳《も》の襞《ひだ》を作るのに珍《な》い術《て》を持った女などが、何でもないことで、とりわけ重宝がられた。袖《そで》の先につける鰭袖《はたそで》を美しく為立てて、其に、珍しい縫いとりをする女なども居た。こんなのは、どの家庭にもある話でなく、こう言う若人をおきあてた家は、一つのよい見てくれ[#「見てくれ」に傍点]を世間に持つ事になるのだ。一般に、染めや、裁ち縫いが、家々の顔見合わぬ女どうしの競技のように、もてはやされた。摺《す》り染めや、擣《う》ち染めの技術も、女たちの間には、目立たぬ進歩が年々にあったが、浸《ひ》で染めの為の染料が、韓の技工人《てびと》の影響から、途方もなく変化した。紫と謂《い》っても、茜《あかね》と謂っても皆、昔の様な、染め漿《しお》の処置《とりあつかい》はせなくなった。そうして、染め上りも、艶々しく、はでなものになって来た。表向きは、こうした色の禁令が、次第に行きわたって来たけれど、家の女部屋までは、官《かみ》の目も届くはずはなかった。
家庭の主婦が、居まわりの人を促したてて、自身も精励してするような為事は、あて人の家では、刀自等の受け持ちであった。若人たちも、田畠に出ぬと言うばかりで、家の中での為事は、まだ見参《まいりまみえ》をせずにいた田舎暮しの時分と、大差はなかった。とりわけ違うのは、其家々の神々に仕えると言う、誇りはあるが、小むつかしい事がつけ加えられて居る位のことである。外出には、下人たちの見ぬ様に、笠を深々とかずき、其下には、更に薄帛《うすぎぬ》を垂らして出かけた。
一時《いっとき》たたぬ中に、婢女ばかりでなく、自身たちも、田におりたったと見えて、泥だらけになって、若人たち十数人は戻って来た。皆手に手に、張り切って発育した、蓮の茎を抱えて、廬《いおり》の前に並んだのには、常々くすり[#「くすり」に傍点]とも笑わぬ乳母《おも》たちさえ、腹の皮をよって、切ながった。
[#ここから1字下げ]
郎女様。御覧《ごろう》じませ。
[#ここで字下げ終わり]
竪帳《たつばり》を手でのけて、姫に見せるだけが、やっとのことであった。
[#ここから1字下げ]
ほう――。
[#ここで字下げ終わり]
何が笑うべきものか、何が憎むに値するものか、一切知らぬ上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《じょうろう》には、唯常と変った皆の姿が、羨《うらやま》しく思われた。
[#ここから1字下げ]
この身も、その田居とやらにおり立ちたい――。
めっそうなこと、仰せられます。
[#ここで字下げ終わり]
めっそうな。きまって、誇張した顔と口との表現で答えることも、此ごろ、この小社会で行われ出した。何から何まで縛りつけるような、身狭乳母《むさのちおも》に対する反感も、此ものまね[#「ものまね」に傍点]で幾分、いり合せがつく様な気がするのであろう。
其日からもう、若人たちの糸縒《いとよ》りは初まった。夜は、閨《ねや》の闇の中で寝る女たちには、稀《まれ》に男の声を聞くこともある、奈良の垣内《かきつ》住いが、恋しかった。朝になると又、何もかも忘れたようになって績《う》み貯《た》める。
そうした糸の、六かせ七かせを持って出て、郎女に見せたのは、其数日後であった。
[#ここから1字下げ]
乳母よ。この糸は、蝶鳥の翼よりも美しいが、蜘蛛《くも》の巣《い》より弱く見えるがよ――。
[#ここで字下げ終わり]
郎女は、久しぶりでにっこりした。労を犒《ねぎら》うと共に、考えの足らぬのを憐むようである。刀自は、驚いて姫の詞《ことば》を堰《せ》き止めた。
[#ここから1字下げ]
なる程、此は脆《さく》過ぎまする。
[#ここで字下げ終わり]
女たちは、板屋に戻っても、長く、健やかな喜びを、皆して語って居た。
全く些《すこ》しの悪意もまじえずに、言いたいままの気持ちから、
[#ここから1字下げ]
田居[#「田居」は底本では「田舎」]とやらへおりたちたい――、
[#ここで字下げ終わり]
を反覆した。
刀自は、若人を呼び集めて、
[#ここから1字下げ]
もっと、きれぬ糸を作り出さねば、物はない。
[#ここで字下げ終わり]
と言った。女たちの中の一人が、
[#ここから1字下げ]
それでは、刀自に、何ぞよい御思案が――。
さればの――。
[#ここで字下げ終わり]
昔を守ることばかりはいかつい[#「いかつい」に傍点]が、新しいことの考えは唯、尋常《よのつね》の婆の如く、愚かしかった。
ゆくりない声が、郎女の口から洩《も》れた。
[#ここから1字下げ]
この身の考えることが、出来ることか試して見や。
[#ここで字下げ終わり]
うま人を軽侮することを、神への忌みとして居た昔人である。だが、かすかな軽《かる》しめに似た気持ちが、皆の心に動いた。
[#ここから1字下げ]
夏引きの麻生《おふ》の麻《あさ》を績むように、そして、もっと日ざらしよく、細くこまやかに――。
[#ここで字下げ終わり]
郎女は、目に見えぬもののさとし[#「さとし」に傍点]を、心の上で綴って行くように、語を吐いた。
板屋の前には、俄《にわ》かに、蓮の茎が乾し並べられた。そうして其が乾くと、谷の澱《よど》みに持ち下りて浸す。浸しては晒《さら》し、晒しては水に漬《ひ》でた幾日の後、筵《むしろ》の上で槌《つち》の音高く、こもごも、交々《こもごも》と叩き柔らげた。
その勤《いそ》しみを、郎女も時には、端近くいざり出て見て居た。咎《とが》めようとしても、思いつめたような目して、見入って居る姫を見ると、刀自は口を開くことが出来なくなった。
日晒しの茎を、八針《やつはり》に裂き、其を又、幾針にも裂く。郎女の物言わぬまなざしが、じつと若人たちの手もとをまもって居る。果ては、刀自も言い出した。
[#ここから1字下げ]
私も、績みましょう。
[#ここで字下げ終わり]
績みに績み、又績みに績んだ。藕糸《はすいと》のまるがせが、日に日に殖えて、廬堂の中に、次第に高く積まれて行った。
[#ここから1字下げ]
もう今日は、みな月に入る日じゃの――。
[#ここで字下げ終わり]
暦の事を言われて、刀自はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]とした。ほんに、今日こそ、氷室《ひむろ》の朔日《ついたち》じゃ。そう思う下から歯の根のあわぬような悪感を覚えた。大昔から、暦は聖《ひじり》の与《あずか》る道と考えて来た。其で、男女は唯、長老の言うがままに、時の来又去った事を教わって、村や、家の行事を進めて行くばかりであった。だから、教えぬに日月を語ることは、極めて聡《さと》い人の事として居た頃である。愈々《いよいよ》魂をとり戻されたのか、と瞻《まも》りながら、はらはらして居る乳母《おも》であった。唯、郎女《いらつめ》は復《また》、秋分の日の近づいて来て居ることを、心にと言うよりは、身の内に、そくそくと感じ初めて居たのである。蓮は、池のも、田居のも、極度に長《た》けて、莟《つぼみ》の大きくふくらんだのも、見え出した。婢女《めやっこ》は、今が刈りしおだ、と教えたので、若人たちは、皆手も足も泥にして、又田に立ち暮す日が続いた。
十七
彼岸中日 秋分の夕。朝曇り後晴れて、海のように深碧《ふかみどり》に凪《な》いだ空に、昼過ぎて、白い雲が頻《しき》りにちぎれちぎれに飛んだ。其が門渡《とわた》る船と見えている内に、暴風《あらし》である。空は愈々《いよいよ》青澄み、昏《くら》くなる頃には、藍《あい》の様に色濃くなって行った。見あげる山の端は、横雲の空のように、茜色《あかねいろ》に輝いて居る。
大山颪《おおやまおろし》。木の葉も、枝も、顔に吹きつけられる程の物は、皆|活《い》きて青かった。板屋は吹きあげられそうに、煽《あお》りきしんだ。若人たちは、悉《ことごと》く郎女の廬《いおり》に上って、刀自《とじ》を中に、心を一つにして、ひしと顔を寄せた。ただ互の顔の見えるばかりの緊張した気持ちの間に、刻々に移って行く風。西から真正面《まとも》に吹きおろしたのが、暫らくして北の方から落して来た。やがて、風は山を離れて、平野の方から、山に向ってひた吹きに吹きつけた。峰の松原も、空様《そらざま》に枝を掻き上げられた様になって、悲鳴を続けた。谷から峰《お》の上《へ》に生え上《のぼ》って居る萱原《かやはら》は、一様に上へ上へと糶《せ》り昇るように、葉裏を返して扱《こ》き上げられた。
家の中は、もう暗くなった。だがまだ見える庭先の明りは、黄にかっきり[#「かっきり」に傍点]と、物の一つ一つを、鮮やかに見せて居た。
[#ここから1字下げ]
郎女様が――。
[#ここで字下げ終わり]
誰かの声である。皆、頭の毛が空へのぼる程、ぎょっとした。其が、何だと
前へ
次へ
全16ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング