そうした大願から立てられたものだろう、と言う者すらあった。そして誰ひとり、其を否む者はなかった。
南家の姫の美しい膚《はだ》は、益々透きとおり、潤んだ目は、愈々大きく黒々と見えた。そうして、時々声に出して誦《じゅ》する経の文《もん》が、物の音《ね》に譬《たと》えようもなく、さやかに人の耳に響く。聞く人は皆、自身の耳を疑うた。
去年の春分の日の事であった。入り日の光りをまともに受けて、姫は正座して、西に向って居た。日は、此屋敷からは、稍《やや》坤《ひつじさる》によった遠い山の端に沈むのである。西空の棚雲の紫に輝く上で、落日は俄《にわ》かに転《くるめ》き出した。その速さ。雲は炎になった。日は黄金《おうごん》の丸《まるがせ》になって、その音も聞えるか、と思うほど鋭く廻った。雲の底から立ち昇る青い光りの風――、姫は、じっと見つめて居た。やがて、あらゆる光りは薄れて、雲は霽《は》れた。夕闇の上に、目を疑うほど、鮮やかに見えた山の姿。二上山である。その二つの峰の間に、ありありと荘厳《しょうごん》な人の俤《おもかげ》が、瞬間|顕《あらわ》れて消えた。後《あと》は、真暗な闇の空である。山の端も、雲も何
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