昨《きぞ》の日からはじまるのである。

   六

門をはいると、俄《にわ》かに松風が、吹きあてるように響いた。
一町も先に、固まって見える堂|伽藍《がらん》――そこまでずっと、砂地である。
白い地面に、広い葉の青いままでちらばって居るのは、朴《ほお》の木だ。
まともに、寺を圧してつき立っているのは、二上山である。其真下に涅槃仏《ねはんぶつ》のような姿に横っているのが麻呂子山だ。其頂がやっと、講堂の屋の棟に、乗りかかっているようにしか見えない。こんな事を、女人《にょにん》の身で知って居る訣《わけ》はなかった。だが、俊敏な此旅びとの胸に、其に似たほのかな綜合《そうごう》の、出来あがって居たのは疑われぬ。暫らくの間、その薄緑の山色を仰いで居た。其から、朱塗りの、激しく光る建て物へ、目を移して行った。
此寺の落慶供養のあったのは、つい四五日|前《あと》であった。まだあの日の喜ばしい騒ぎの響《とよ》みが、どこかにする様に、麓《ふもと》の村びと等には、感じられて居る程である。
山颪に吹き暴《さら》されて、荒草深い山裾の斜面に、万法蔵院の細々とした御灯の、煽《あお》られて居たのに目馴れた人たちは、
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