―。あれと、おなじ表情をして居る。其も、尤《もっとも》であった。志斐老女が、藤氏《とうし》の語部の一人であるように、此も亦、この当麻《たぎま》の村の旧族、当麻真人の「氏の語部」、亡び残りの一人であったのである。
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藤原のお家が、今は、四筋に分れて居りまする。じゃが、大織冠《たいしょくかん》さまの代どころでは、ありは致しませぬ。淡海公の時も、まだ一流れのお家でおざりました。併し其頃やはり、藤原は、中臣と二つの筋に岐《わか》れました。中臣の氏人で、藤原の里に栄えられたのが、藤原と、家名の申され初めでおざりました。
藤原のお流れ。今ゆく先も、公家摂※[#「竹かんむり/録」、第3水準1−89−79]《くげしょうろく》の家柄。中臣の筋や、おん神仕え。差別差別《けじめけじめ》明らかに、御代御代《みよみよ》の宮守《みやまも》り。じゃが、今は今、昔は昔でおざります。藤原の遠つ祖《おや》、中臣の氏の神、天押雲根《あめのおしくもね》と申されるお方の事は、お聞き及びかえ。
今、奈良の宮におざります日の御子さま。其前は、藤原の宮の日のみ子さま。又其前は、飛鳥の宮の日のみ子さま。大和の国中
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