、我が魂《たま》は何になることやら。やっぱり、鳥か、虫にでも生れて、切なく鳴き続けることであろう。
[#ここで字下げ終わり]
ついに一度、ものを考えた事もないのが、此国のあて人の娘であった。磨かれぬ智慧を抱いたまま、何も知らず思わずに、過ぎて行った幾百年、幾万の貴い女性《にょしょう》の間に、蓮《はちす》の花がぽっちりと、莟《つぼみ》を擡《もた》げたように、物を考えることを知り初《そ》めた郎女であった。
[#ここから1字下げ]
おれよ。鶯よ。あな姦《かま》や。人に、物思いをつけくさる。
[#ここで字下げ終わり]
荒々しい声と一しょに、立って、表戸と直角《かね》になった草壁の蔀戸《しとみど》をつきあげたのは、当麻語部《たぎまのかたり》の媼《おむな》である。北側に当るらしい其外側は、※[#「片+總のつくり」、第3水準1−87−68]《まど》を圧するばかり、篠竹《しのだけ》が繁って居た。沢山の葉筋が、日をすかして一時にきらきらと、光って見えた。
郎女は、暫らく幾本とも知れぬその光りの筋の、閃《ひらめ》き過ぎた色を、瞼《まぶた》の裏に、見つめて居た。おとといの日の入り方、山の端に見た輝きが、思わずには居られなかったからである。
また一時《いっとき》、廬堂《いおりどう》を廻って、音するものもなかった。日は段々|闌《た》けて、小昼《こびる》の温《ぬく》みが、ほの暗い郎女の居処にも、ほっとりと感じられて来た。
寺の奴《やっこ》が、三四人先に立って、僧綱《そうごう》が五六人、其に、大勢の所化《しょけ》たちのとり捲《ま》いた一群れが、廬へ来た。
[#ここから1字下げ]
これが、古《ふる》山田寺だ、と申します。
[#ここで字下げ終わり]
勿体ぶった、しわがれ声が聞えて来た。
[#ここから1字下げ]
そんな事は、どうでも――。まず、郎女さまを――。
[#ここで字下げ終わり]
噛みつくようにあせって居る家長老《いえおとな》額田部子古《ぬかたべのこふる》のがなり[#「がなり」に傍点]声がした。
同時に、表戸は引き剥《は》がされ、其に隣った、幾つかの竪薦《たつごも》をひきちぎる音がした。
ずうと這い寄って来た身狭乳母《むさのちおも》は、郎女の前に居たけ[#「居たけ」に傍点]を聳《そびや》かして、掩《おお》いになった。外光の直射を防ぐ為と、一つは、男たちの前、殊には、庶民の目に、貴人《あてびと》の
前へ
次へ
全80ページ中49ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング