姿を暴《さら》すまい、とするのであろう。伴《とも》に立って来た家人《けにん》の一人が、大きな木の叉枝《またぶり》をへし折って来た。そうして、旅用意の巻帛《まきぎぬ》を、幾垂れか、其場で之に結び下げた。其を牀《ゆか》につきさして、即座の竪帷《たつばり》―几帳《きちょう》―は調った。乳母《おも》は、其前に座を占めたまま、何時までも動かなかった。
十二
怒りの滝のようになった額田部子古は、奈良に還《かえ》って、公に訴えると言い出した。大和国にも断って、寺の奴ばらを追い払って貰うとまで、いきまいた。大師を頭《かしら》に、横佩家に深い筋合いのある貴族たちの名をあげて、其方々からも、何分の御吟味を願わずには置かぬ、と凄い顔をして、住侶《じゅうりょ》たちを脅かした。郎女は、貴族の姫で入らせられようが、寺の浄域を穢《けが》し、結界まで破られたからは、直にお還りになるようには計われぬ。寺の四至の境に在る所で、長期の物忌みして、その贖《あがな》いはして貰わねばならぬ、と寺方も、言い分はひっこめなかった。
理分に非分にも、これまで、南家の権勢でつき通してきた家長老《おとな》等にも、寺方の扱いと言うものの、世間どおりにはいかぬ事が訣《わか》って居た。乳母に相談かけても、一代そう言う世事に与った事のない此人は、そんな問題には、詮《かい》ない唯の女性《にょしょう》に過ぎなかった。
先刻《さっき》からまだ立ち去らずに居た当麻語部の嫗が、口を出した。
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其は、寺方が、理分でおざるがや。お随《おしたが》いなされねばならぬ。
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其を聞くと、身狭乳母は、激しく、田舎語部の老女を叱りつけた。男たちに言いつけて、畳にしがみつき、柱にかき縋《すが》る古婆《ふるばば》を掴《つか》み出させた。そうした威高さは、さすがに自《おのずか》ら備っていた。
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何事も、この身などの考えではきめられぬ。帥《そつ》の殿《との》に承ろうにも、国遠し。まず姑《しば》し、郎女様のお心による外はないもの、と思いまする。
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其より外には、方《ほう》もつかなかった。奈良の御館《みたち》の人々と言っても、多くは、此人たちの意見を聴いてする人々である。よい思案を、考えつきそうなものも居ない。難波へは、直様、使いを立てることにして、とにもかくにも
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