其が幾かせ[#「かせ」に傍点]、幾たま[#「たま」に傍点]と言う風に貯《たま》って来ると、言い知れぬ愛著《あいちゃく》を覚えて居た。だが、其がほんとは、どんな織物になることやら、其処までは想像も出来なかった。
若人たちは茎を折っては、巧みに糸を引き切らぬように、長く長くと抽《ぬ》き出す。又其、粘り気の少いさくい[#「さくい」に傍点]ものを、まるで絹糸を縒り合せるように、手際よく糸にする間も、ちっとでも口やめる事なく、うき世語りなどをして居た。此は勿論、貴族の家庭では、出来ぬ掟《おきて》になって居た。なっては居ても、物珍《ものめ》でする盛りの若人たちには、口を塞《ふさ》いで緘黙行《しじま》を守ることは、死ぬよりもつらい行《ぎょう》であった。刀自らの油断を見ては、ぼつぼつ話をしている。其きれぎれが、聞こうとも思わぬ郎女の耳にも、ぼつぼつ這入《はい》って来勝ちなのであった。
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鶯の鳴く声は、あれで、法華経《ほけきょう》法華経《ほけきょう》と言うのじやて――。
ほう、どうして、え――。
天竺のみ仏は、おなご[#「おなご」に傍点]は、助からぬものじゃと、説かれ説かれして来たがえ、其果てに、女《おなご》でも救う道が開かれた。其を説いたのが、法華経じゃと言うげな。
――こんなこと、おなごの身で言うと、さかしがりよと思おうけれど、でも、世間では、そう言うもの――。
じゃで、法華経法華経と経の名を唱えるだけで、この世からして、あの世界の苦しみが、助かるといの。
ほんまにその、天竺《てんじく》のおなごが、あの鳥に化《な》り変って、み経の名を呼ばるるのかえ。
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郎女《いらつめ》には、いつか小耳に挿《はさ》んだ其話が、その後、何時までも消えて行かなかった。その頃ちょうど、称讃浄土仏摂受経《しょうさんじょうどぶつしょうじゅぎょう》を、千部写そうとの願を発《おこ》して居た時であった。其が、はかどらぬ。何時までも進まぬ。茫《ぼう》とした耳に、此|世話《よばなし》が再また、紛《まぎ》れ入って来たのであった。
ふっと、こんな気がした。
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ほほき鳥は、先の世で、御経《おんきょう》手写の願を立てながら、え果さいで、死にでもした、いとしい女子がなったのではなかろうか。……そう思えば、若《も》しや今、千部に満たずにしまうようなことがあったら
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