えた。大昔から、暦は聖《ひじり》の与《あずか》る道と考えて来た。其で、男女は唯、長老の言うがままに、時の来又去った事を教わって、村や、家の行事を進めて行くばかりであった。だから、教えぬに日月を語ることは、極めて聡《さと》い人の事として居た頃である。愈々《いよいよ》魂をとり戻されたのか、と瞻《まも》りながら、はらはらして居る乳母《おも》であった。唯、郎女《いらつめ》は復《また》、秋分の日の近づいて来て居ることを、心にと言うよりは、身の内に、そくそくと感じ初めて居たのである。蓮は、池のも、田居のも、極度に長《た》けて、莟《つぼみ》の大きくふくらんだのも、見え出した。婢女《めやっこ》は、今が刈りしおだ、と教えたので、若人たちは、皆手も足も泥にして、又田に立ち暮す日が続いた。

   十七

彼岸中日 秋分の夕。朝曇り後晴れて、海のように深碧《ふかみどり》に凪《な》いだ空に、昼過ぎて、白い雲が頻《しき》りにちぎれちぎれに飛んだ。其が門渡《とわた》る船と見えている内に、暴風《あらし》である。空は愈々《いよいよ》青澄み、昏《くら》くなる頃には、藍《あい》の様に色濃くなって行った。見あげる山の端は、横雲の空のように、茜色《あかねいろ》に輝いて居る。
大山颪《おおやまおろし》。木の葉も、枝も、顔に吹きつけられる程の物は、皆|活《い》きて青かった。板屋は吹きあげられそうに、煽《あお》りきしんだ。若人たちは、悉《ことごと》く郎女の廬《いおり》に上って、刀自《とじ》を中に、心を一つにして、ひしと顔を寄せた。ただ互の顔の見えるばかりの緊張した気持ちの間に、刻々に移って行く風。西から真正面《まとも》に吹きおろしたのが、暫らくして北の方から落して来た。やがて、風は山を離れて、平野の方から、山に向ってひた吹きに吹きつけた。峰の松原も、空様《そらざま》に枝を掻き上げられた様になって、悲鳴を続けた。谷から峰《お》の上《へ》に生え上《のぼ》って居る萱原《かやはら》は、一様に上へ上へと糶《せ》り昇るように、葉裏を返して扱《こ》き上げられた。
家の中は、もう暗くなった。だがまだ見える庭先の明りは、黄にかっきり[#「かっきり」に傍点]と、物の一つ一つを、鮮やかに見せて居た。
[#ここから1字下げ]
郎女様が――。
[#ここで字下げ終わり]
誰かの声である。皆、頭の毛が空へのぼる程、ぎょっとした。其が、何だと
前へ 次へ
全80ページ中70ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング