のは、考えるのも切ない胸の中が察せられる。
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兄公殿は氏上に、身は氏助《うじのすけ》と言う訣なのじゃが、肝腎《かんじん》斎き姫で、枚岡に居させられる叔母御は、もうよい年じゃ。去年春日祭りに、女使いで上られた姿を見て、神《かん》さびたものよ、と思うたぞ。今《も》一代此方から進ぜなかったら、斎き姫になる娘の多い北家の方が、すぐに取って替って、氏上に据るは。
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兵部大輔にとっても、此はもう[#「もう」に傍点]、他事《ひとごと》ではなかった。おなじ大伴幾流の中から、四代続いて氏上職を持ち堪《こた》えたのも、第一は宮廷の御恩徳もあるが、世の中のよせ[#「よせ」に傍点]が重かったからである。其には、一番大事な条件として、美しい斎き姫が、後から後と此家に出て、とぎれることがなかった為でもある。大伴の家のは、表向き壻《むこ》どりさえして居ねば、子があっても、斎き姫は勤まる、と言う定めであった。今の阪上郎女《さかのうえのいらつめ》は、二人の女子《おみなご》を持って、やはり斎き姫である。此は、うっかり出来ない。此方《こちら》も藤原同様、叔母御が斎姫《いつき》で、まだそんな年でない、と思うているが、又どんなことで、他流の氏姫が、後を襲うことにならぬとも限らぬ。大伴・佐伯《さえき》の数知れぬ家々・人々が、外の大伴へ、頭をさげるようになってはならぬ。こう考えて来た家持の心の動揺などには、思いよりもせぬ風で、
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こんな話は、よそほかの氏上に言うべきことでないが、兄公殿がああして、此先何年、難波にいても、太宰府に居ると言うが表面《おもて》だから、氏の祭りは、枚岡・春日と、二処に二度ずつ、其外、週《まわ》り年には、時々鹿島・香取の東路《あずまじ》のはてにある旧社《もとやしろ》の祭りまで、此方で勤めねばならぬ。実際よそほかの氏上よりも、此方の氏助ははたらいているのだが、――だから、自分で、氏上の気持ちになったりする。――もう一層なってしまうかな。お身はどう思う。こりゃ、答える訣にも行くまい。氏上に押し直ろうとしたところで、今の身の考え一つを抂《ま》げさせるものはない。上様方に於かせられて、お叱りの御沙汰を下しおかれぬ限りは――。
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京中で、此恵美屋敷ほど、庭を嗜《たしな》んだ家はないと言う。門は、左京二条三坊
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