日になつた。春にしては、驚くばかり濃い日光が、地上にかつきりと、木草の影を落して居た。ほか/\した日よりなのに、其を見てゐると、どこか、薄ら寒く感じるほどである。時々に過ぎる雲の翳りもなく、晴れきつた空だ。高原を拓いて、間引《マビ》いた疎らな木原《コハラ》の上には、もう澤山の羽蟲が出て、のぼつたり降《サガ》つたりして居る。たつた一羽の鶯が、よほど前から一處を移らずに、鳴き續けてゐるのだ。
家の刀自《トジ》たちが、物語る口癖を、さつきから思ひ出して居た。出雲[#(ノ)]宿禰の分れの家の孃子《ヲトメ》が、多くの男の言ひ寄るのを煩しがつて、身をよけ/\して、何時か、山の林の中に分け入つた。さうして其處で、まどろんで居る中に、悠々《ウラヽヽ》と長い春の日も、暮れてしまつた。孃子は、家路と思ふ徑を、あちこち歩いて見た。脚は茨の棘にさゝれ、袖は、木の楚《ズハエ》にひき裂かれた。さうしてとう/\、里らしい家|群《ムラ》の見える小高い岡の上に出た時は、裳も、著物も、肌の出るほど、ちぎれて居た。空には、夕月が光りを増して來てゐる。孃子はさくり上げて來る感情を、聲に出した。
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ほゝき
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