たちよりほかに、與らせぬ行事も間々御座います。日京卜らしいものもその一つで――。髮剃の使が見えられて、愈々御廟を開く三日前、一山の中唯三人、身分の高下を言はず、髮剃りの役に當る者が卜ひ定められます。其卜ひを致すものが、苅堂の聖の中から出てまゐります。以前はよく致しました。今は子どもゝ喜ばなくなりました博木《カリ》をうつやうな事を致します。それも僅かに二本――、やゝ長めな二本の※[#「綏」の「糸」に代えて「木」、第3水準1−85−68]《タラ》の木やうの物の枝を持つて、何やらあやしげな事をいたし居ります。それを色々をこつかした末に、大地の上に立てます。其が大日尊の姿だとか申して、その二本の枝を十文字に括りつけます。此が尊者の身のゆき身のたけ、この竪横の身に、うき世の人の罪穢れを吸ひとつて、卜ひ清めるのだとか申します。
行法終りますと、西の空へ向けて、西の山の端に舞ひ落ちようとする入り日に向けて、投げつけます。この磔物《ハタモノ》のやうに結ばれた棒が、峰々谷々の空飛び越えて、何處とも知れず飛び去ります。
まことに、僞りとも、まことゝも、まをすだけがわれ/\學侶の身には、こけ[#「こけ」に傍点]の沙汰で御座います。が、その時、磔物の柱のやうな木の枝が、鬢髮伸びるがまゝに生ひ垂れた、一人の高僧の姿となつて見えるさうに申します。
此御姿を拜んで、翌《ア》けの日御廟を開いて、大師のみかげ[#「みかげ」に傍点]をまのあたりに拜しまゐらせますと、昨日見たまゝの髮髭の伸び加減だと申します。
御僧は、その目で、前の日の幻と、その日の正身《シヤウジン》のみ姿とを見比べた訣だな――。其が寸分|違《タガ》はぬと世俗に言ふ――その言ひ來たりのまゝだつたかね。――ふうん、其大師の鬢髮の伸びを勘へる、西域の占象《ウラカタ》だよ。占象では當らぬかな。招魂の法――あれだ。『波斯より更に遙かにして、夷人極めて多し。中に、招魂千年の法を傳ふるあり。謂《イヒ》は、千年の舊き魂をも招き迎へて、目前に致すこと、生前の姿の如し。』と言ふ。
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暗記を復誦しながら、如何にも空想の愉しさに溺れてゐるやうな大臣の顏である。
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西觀唐紀の逸文にあるのだがね――、その後に、昔、神變不思議の術を持つた一人の夷人が居てね。その不思議な術の爲に、訝まれ疑はれて、磔物にかゝつて死んだ。其後夷人の教へが久しく傳つて、今も行はれてゐる。長安の都にも、その教義をひろめる爲に、私に寺を建てる者があつて、盛んに招魂の法を行つて、右の夷人の姿を招きよせて、禮拜する。信じる風が次第に君子士人の間に擴つて流弊はかり難いものがある。とさう言ふ風のことが書いてあるのだがね。――ちよつと、空海和上が入唐したのが、大唐の貞元から元和へかけての間であつたから、西觀唐紀の出來て間のないことだ。
とにもかくにも、開山大師將來の日京卜のなごり[#「なごり」に傍点]らしく傳へるものは、此だけで御座います。
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律師は、知識において大刀うちの出來さうもない相手だと悟つた。それに、美しい詞――。美しい齒ぎれのすが/″\しい詞を發する清らかな口――。ふくよかな頬――。
山に育つて、青春を經佛堂の間で暮した山僧は、女を眺める心は、萎微してゐた。思ひがけない美しさを感じる目で、周圍の男たちを凝視してゐる時が多かつた。律師は、まのあたりにくつろいだ貴人の、まだ見たことのないゆたけさの何處をとつて見ても、美しさに歸せぬものゝないのに驚きはじめてゐた。
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ともかく招魂法を卜象だと考へて來たのだね――。二百五十年|以後《コノカタ》、――知識の充滿してゐる山に、さりとては、智惠の光りの屆かぬ隅もあるものだ。
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貴人の顏は、いよ/\冴えて見えた。智惠の光りと言ふのは、此だと律師には思はれた。御廟の中で見た大師のみ姿――其を問はれゝば、隱しをふせることの出來ないやうな氣がし出したのが、彼には恐しかつた。
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春の日はまだ、暮れるに間があらう。ぼつ/″\開山廟まで行きたくなつた。そこ[#「そこ」に傍点]に一つ案内を頼みたいが――。
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僧綱にしては、少し口數が多過ぎると噂せられた律師は、靜かな擧措に、僅かな詞をまじへるだけなのが、宿徳《シウトク》の老僧の外貌を加へた。
一山を輝すやうな賻物《オクリモノ》や祿《ロク》が、數多い房々に配られた。宮廷からのおぼしめしもあり、大臣の奇特な志を示すものもあつた。中に、日頃の生活の色彩の乏しさを思ひ起させるほどきらびやかな歡喜を促したものは、この木幡の右大臣の北の方から寄進せられたといふ唐衣に所屬する一そろひの女裝束であつた。勿論度々の先例もあることだし、一度も身につけない清淨な衣裝は、中堂の本尊に供養して、あと[#「あと」に傍点]を天野の社の姫神に獻るといふことになつた。多くの久住《クヂユウ》の宿徳僧《シウトクソウ》にとつては、唯一流れの美しい色の奔流として、槊木《ホコギ》にかけられてゐるばかりであるが、まだ心とゞろき易い若さを失はぬ高位の僧たちには、樣々な幻が、目や耳に寄つて來るのが、防げなかつた。まだ得度せぬ美しい稚兒や、喝食《カツジキ》を養うてゐる人たちは、心ひそかに目と目とを見合せて、不思議な語を了解しあふのもあつた。之を其等の性の定らぬやうな和やかな者の肌を掩はせて見たいといふ望みである。
翌けの日は、中堂大塔供養の當日である。護摩の煙の渦に咽せ返るやうな一日であつた。※[#「蚌のつくり」、第3水準1−14−6]惠律師は、其間大臣の家の子から出て、入山したと言つた俗縁でゞもあるかと思はれるほど、誠實に貴人に仕へてゐる。中堂の扉がすつかり、あけひろげられた。私闇《ワタシヤミ》の中に、烈々と燃え盛つてゐた修法の壇は、依然として、炎をあげてゐたが、夏近い明るい外光を受けた天井・柱・壁・床の新しい彩色が、一時に堂を明るくした。
折り重つて光りの輪を交す大塔――それを※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]る附屬の建て物、朱と雄黄と緑青の虹がいぶり立つやうに四月に近い山の薄緑を凌ぐ明るさであつた。
その日は思ひの外に早く昏くなつた。「彌生の立ち昏れ」と山の人々は言ふ、さうした日が稀にはあつた。晴れ過ぎる程明るい空が、急に曇るともなく薄暗くなつて、そのまゝ夜になる。かう言ふ日は、宵も夜ふけも、かん/\響くほど空氣が冴えて感じられる。
今は眞夜中である。都では朧ろな夜の多い此頃を、此山では、冬の夜空のやうに乾いてゐた。生れてまだ記憶のない恐しい昨日の經驗――それを此目で、も一度見定めようとしてゐるのである。其に底の底まで青くふるひ上つた心が、今夜も亦驚くか――、彼は二代の若い天子に仕へて來た。思ふ存分怒りを表現なさる上《ウヘ》の御氣色《ミケシキ》に觸れて困つたことも、度々あつた。あんな凄さとも違つてゐる。地獄變相圖や、百鬼|夜行繪《ヤギヤウヱ》に出て來る鬼どもが、命に徹する畏怖を與へる、あれともかはつてゐる。
とにかくに、かう言ふ常の生活に思ひも及ばぬことがあらうとは思はれぬ。だが目前に、この目で見た。信じてゐる自分ではない。だが、自分で經驗したものを、世間の平俗な考へが、容れないからと言つて、其を此方の思ひ違ひときめるのは、恥しい凡下の心だ。變つて居れば變つたでよいではないか。おれは新しい現實を此目で見て、人間の知つた世界をひろげるのだ。
――かう考へ乍ら、歩みを移してゐる。兩方は深い叢で、卒塔婆の散亂する塚原である。上は繁りあうた常盤木の木立ちで、道が白んで見える仄暗さだ。沙煙――道の上五尺ほどの高さ、むらむらと沙が捲き立つて行くやうにも見える、淡い霧柱――大臣は、目を疑うた。立ち止つて目を凝して見る。目の紛れではない。白くほのかに、凡、人の背《セ》たけほど、移つて行く煙――二間ほど隔てゝ動いて行く影――。
明るくなつた。水の響きが聞えて來た。
鶯が鳴いてゐる。山では聞かなかつた。再、拙い夏聲《ナツゴヱ》にかはらうとしてゐるのだ。水面を叩く高い水音が、次いで聞えて來た。蔀戸《シトミド》はおりて居て、枕邊は一面の闇がたけ高く聳えてゐる。其を感じたのは、東側の奧の妻戸が、一枚送つてあつて、もう早い朝の來てゐることを示してゐたから、却て南面《ミナミオモテ》の西側近く寢てゐると、やつと自身の手の動くのが、見える位であつた。
村里へ出てゐるのだといふ心が、ひらりと、大臣の記憶がのり出して來る。をゝさうだ。昨日――いや、をとゝひ高野を降つた。あしこに居つた數日の印象があまり、はつきりして居て却て昨日一日のことは拭ひとつたやうな靜けさだつた。
今の今まで夢ともなく、聯想ともなく、はつきりと見えてゐたのは、其はをとゝひの夜、あつたことだ。山の上の小川―玉川―にけぶるやうにうつゝて居た月の光りに、五六間先を行く者の姿を、朧ろながら、確かに見た。「※[#「蚌のつくり」、第3水準1−14−6]惠か」と口まで出た詞を呑んでしまつたのは、瞬間、其姿があんまり生氣のない謂はゞ陰の樣な、それでゐて、ずぬけてせい[#「せい」に傍点]の高いものだつたから――だ。
だがさう思つた時、その姿はどこにもなかつた。今見た一つゞきの空想も、唯それだけだ。おれは、其影のやうなものを、つきとめたいと思うてゐる。其で、眠りの中に、あれを見たのだ。――他愛もない幻。そんなものに囚れて考へるおれではなかつた筈だ。――いや併し、あの前日のことがなかつたら、こんなにとりとめもないやうな一つ事を考へるわけはない。――あの日、まだ黄昏にもならぬ明るい午後、開山堂の中で見たのは、どうだつた。
おれは、きつと開山の屍臘を見ることだらうと想像してゐた。さう信じて、廿年に一度開く勅封の扉を、開けさした時、其から□□□□□その中の闇へ、五六歩降つて行つた時、※[#「蚌のつくり」、第3水準1−14−6]惠の持つてゐた燈《アカシ》が、何を照し出したか。思ひ出すことゝ、嘔氣《ハキケ》とが、一つであつた。思ひ出すことは、口に出して喋るのと、一つであつた。考へをくみ立てるといふことが、自分の心に言つて聞せることのやうに、氣が咎めた。結局、何も考へないことが、一番心を鎭めて置くことになつたのだ。大臣は、考へまいと尻ごみする心を激勵してゐる。
おれは、どうも血筋に引かれて、兄の殿や父君に、段々似通うて來る樣だ。あの決斷力のない關白の爲方を見てぢり/″\する自分ではないか。何事もうちゝらかしておいて、其が收拾つかぬ處まで見きはめて、愉しんでゞもゐるやうな、入道殿下《ニフダウテンガ》を見るのも厭はしい氣のしたおれだつたのに――。そのおれが、幻のやうな現實を、それが現實である爲に、一層それに執著して細かに考へようとしてゐる。無用の考へではないか。
急にこの建て物の中が、明るくなつて來たのは、誰かゞ來て妻戸を開いたからである。
おれはようべ、靜かな考へごとをしたいからと言つて、狹い放ち出での人氣のとほいのを懇望して、こゝに寢床を設けさせた。
ところが、夜一夜、おれは心で起きてゐたらしい。景色も、ある物もすべて、あの山の上の寺の町には見えたが、おれのからだ[#「からだ」に傍点]は、この邊の野山をうろついてゐた氣がする。第一、あの山での逍遙は、ちつともおのれの胸に息苦しい感じを與へなかつた。住僧たちの上から下まで無學で、俗ぽかつたことは、氣にさはつたけれど、少しも憂鬱な氣持ちを起させる三日間ではなかつた。處が、ようべ――けさの今まで續いてゐた夢―か―は、あの現實に續いてゐるとも思はれぬ、何かかうのしかゝるものゝあるやうな、――形だけは一つで、中身のすつかり變つた事が入りかはつてゐるやうだ。
こりやまるで[#「まるで」に傍点]伎樂の仁王を見てゐると思ふ間に、其仁王の身に猿が入り替つて、妙なふるまひを爲出したやうなものだ。
さういふ風に輕蔑してよいものにたとへることが出來たので、やつと、氣の輕くなるのを感じた。ついで、廣びろとした胸――、
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