對してのお勤めであつた。
かう言ふことの眞似び[#「眞似び」に傍点]は、公家のどの家でもすることではなかつた。
南北三町・東西五町にあまる境内。總門は南の岡の上にあつて、少しの勾配を降ると、七堂伽籃の立つ平地である。門の東西に離れて、向きあつた岡の高みに、雙塔が立つてゐる。
寺は、松の林の中にあつて、門から一目に見おろされる構へであつた。
今の京になつて三百年、その前にまだ奈良の宮・飛鳥の都百五十年を隔てた昔、この寺をこゝに建てた家は、一族ひろい氏であつたが、其があとかたもなく亡びてしまつて、氏寺だけが殘つた。
寺は、丹も雄黄ももの古りたが、都の寺々にも劣らぬ結界の淨らかさである。
内から南は、たゞ野である。畠もない。だが林もない。叢と石原とが、次第上りの野に續いてゐて、末は、高い山になつてゐた。阿闍梨一行は昨日來た道を歸つて行つた。寺から下にある當麻の村にさがつて行く道だから忽見えなくなつた。
葛城の峰は、門の簷から續いて、最後は、遠く雲に入つてゐる。その高い頂ばかり見えるのが、葛城のこゞせ山、それから梢低くこちらへ靡いてゐるのが、かいな嶽。その北に長い尾根がなだれるやうに續いて、この寺の上まで來てゐる。さうして、門を壓するやうに立つてゐるのが、二上山である。
大臣は、……(中絶)



底本:「折口信夫全集 第廿四卷」中央公論社
   1955(昭和30年)年6月5日初版発行
   1967(昭和42年)年10月25日新訂版発行
   1974(昭和49年)年4月20日新訂再発行
※「死者の書 續篇」は、大学ノートに書かれていた草稿で、この題名は「折口博士記念古代研究所」によってつけられたものです。
※踊り字(/\、/″\)の誤用の混在は底本の通りとしました。
入力:高柳典子
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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