に、――世間を救ふ經文《キヤウモン》の學問すら出來んで暮して居ります。
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こんなもの言ひが、人に恥ぢをかゝせる、と言ふことも考へないで言うてゐる。さうではなからう――。恥ぢをかゝせて――、恥しめられた者の持つ後味《アトアヂ》のわるさを思ひもしないで、言ふいたはりのなさが、やはり房主の生活のあさましさなのだ。
――大臣は、瞬間公家|繪《ヱ》かきの此頃かく、肖像畫を思ひ浮べてゐた。その繪の人物になつたやうなおほどかな氣分で、ものを言ひ出した。
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其でも、卿《ソコ》たちは羨しい暇を持つておいでだ。美しい稚兒法師に學問を爲込まれる。それから、一かどの學生《ガクシヤウ》に育てゝ、一生は手もとで見て行かれる。羨しいものだと、高野に來た誰も彼もが言ふが、――内典を研究する人たちには、さう言ふゆとりがあるから羨しいよ。博士よ進士《シンジ》よと言つても、皆|陋《サモ》しい者ばかりでね――。
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大臣は、いやな下※[#「くさかんむり/(月+曷)」、第3水準1−91−26]《ゲラフ》たちを、二重に叩きつけるやうなもの(言ひ)をした。物體《モツタイ》らしくものを言ふ人たちを見ると、自分より教養の低いものたちから、無理やりに教育を強ひられてゐるやうな氣がして、堪《タマ》らなかつた。房主もいやだが、博士たちも小半刻も話してゐる間に、世の中があさましいものになつたやうな、どんよりとしたものにしか感じられなくなるのだつた。房主たちをおし臥せるやうな氣持ちで、二重底のある語を語つてゐると思うてゐると、驅り立てられた情熱が、當代の學者たちを打ち臥せるやうな語氣を烈しく持つて來てゐた。
現に今度の高野參詣も、出掛けの前夜になつて、もの/\しく、異見を言つて來た俊西入道があつた。儀禮にかうある、帝堯篇には、あゝ書かれてゐる、――そんなことが、天文の急變ではあるまいし、出立ちを三刻後《ミトキアト》に控へて、言ふやうでは、手ぬかりも甚しい。其も易や、陰陽の方で、言ひ出すのなら、まだしも意味がある。たゞ其が禮法でないの、先例がどうのと言ひ出すのでは、話にもならぬ。
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やまには宿曜《シユクエウ》經を見る大徳《ダイトク》が居るだらうな。
お見せになりますか。當山では、經の片端でも讀みはじめたものは、なぐさみ半分に、あれは致しま
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