も身につけない清淨な衣裝は、中堂の本尊に供養して、あと[#「あと」に傍点]を天野の社の姫神に獻るといふことになつた。多くの久住《クヂユウ》の宿徳僧《シウトクソウ》にとつては、唯一流れの美しい色の奔流として、槊木《ホコギ》にかけられてゐるばかりであるが、まだ心とゞろき易い若さを失はぬ高位の僧たちには、樣々な幻が、目や耳に寄つて來るのが、防げなかつた。まだ得度せぬ美しい稚兒や、喝食《カツジキ》を養うてゐる人たちは、心ひそかに目と目とを見合せて、不思議な語を了解しあふのもあつた。之を其等の性の定らぬやうな和やかな者の肌を掩はせて見たいといふ望みである。
翌けの日は、中堂大塔供養の當日である。護摩の煙の渦に咽せ返るやうな一日であつた。※[#「蚌のつくり」、第3水準1−14−6]惠律師は、其間大臣の家の子から出て、入山したと言つた俗縁でゞもあるかと思はれるほど、誠實に貴人に仕へてゐる。中堂の扉がすつかり、あけひろげられた。私闇《ワタシヤミ》の中に、烈々と燃え盛つてゐた修法の壇は、依然として、炎をあげてゐたが、夏近い明るい外光を受けた天井・柱・壁・床の新しい彩色が、一時に堂を明るくした。
折り重つて光りの輪を交す大塔――それを※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]る附屬の建て物、朱と雄黄と緑青の虹がいぶり立つやうに四月に近い山の薄緑を凌ぐ明るさであつた。
その日は思ひの外に早く昏くなつた。「彌生の立ち昏れ」と山の人々は言ふ、さうした日が稀にはあつた。晴れ過ぎる程明るい空が、急に曇るともなく薄暗くなつて、そのまゝ夜になる。かう言ふ日は、宵も夜ふけも、かん/\響くほど空氣が冴えて感じられる。
今は眞夜中である。都では朧ろな夜の多い此頃を、此山では、冬の夜空のやうに乾いてゐた。生れてまだ記憶のない恐しい昨日の經驗――それを此目で、も一度見定めようとしてゐるのである。其に底の底まで青くふるひ上つた心が、今夜も亦驚くか――、彼は二代の若い天子に仕へて來た。思ふ存分怒りを表現なさる上《ウヘ》の御氣色《ミケシキ》に觸れて困つたことも、度々あつた。あんな凄さとも違つてゐる。地獄變相圖や、百鬼|夜行繪《ヤギヤウヱ》に出て來る鬼どもが、命に徹する畏怖を與へる、あれともかはつてゐる。
とにかくに、かう言ふ常の生活に思ひも及ばぬことがあらうとは思はれぬ。だが目前に、この目で見た。信じてゐる自分では
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