の「由」に代えて「吾」、第4水準2−94−68]鼠が飛び歩くと言ふので、一騒ぎしてゐた。
横佩家の郎女《いらつめ》が、称讃浄土摂受経《しようさんじやうどせふじゆきやう》を写しはじめたのも、其頃からであつた。父の心づくしの贈り物の中で、一番郎女の心を明るくしたのは、此新訳の阿弥陀経|一巻《いちくわん》であつた。
この山の都よりも、太宰府は開けてゐた。大陸の新しい文物は、皆一度は、この遠《とほ》の宮廷領《みかど》を通過するのであつた。唐から渡つた珍品などは、太宰府ぎりで、都へは出て来ないものが、なか/\多かつた。
学問や芸術の味ひを知り初めた志の深い人たちは、だから大唐までは行けずとも、せめて太宰府だけへはと、筑紫下りを念願にして居る位である。
南家《なんけ》の郎女《いらつめ》の手に入つた称讃浄土経も、大和一国の大寺と言ふ大寺に、まだ一部も蔵せられて居ないものである。
姫は、蔀戸近くに、時としては机を立てゝ写経をしてゐることもあつた。夜も、侍女たちを寝静らしてから、油火《あぶらび》の下で、一心不乱に書き写して居た。
百部は、夙くに写し果した。今は千部手写の発願をして居る。冬は春になり、夏山と繁つた春日山も、既に黄葉《もみぢ》して、其がもう散りはじめた。蟋蟀は昼も鳴くやうになつた。佐保川の水を引き入れた庭の池には、遣り水伝ひに、川千鳥の啼く日すら続くやうになつた。
今朝も、何処からか、鴛鴦の夫婦鳥《つまどり》が来て浮んで居ます、と童女《わらはめ》が告げに来た位である。
五百部を越えた頃から、姫の身は目立つてやつれて来た。ほんの纔かの眠りを摂《と》る間も、ものに驚いて覚める様になつた。其でも、八百部の声を聞く時分になると、衰へたなりに、健康は定まつて来たやうに見えた。やゝ蒼みを帯びた皮膚に、少し細つて見える髪が、愈黒く映え出した。
八百八十部、九百部。郎女は侍女にすら、ものを言ふことを嫌ふやうになつた。さうして、昼すら何か夢見るやうな、うつとりとした目つきをして、蔀戸ごしに西の空を見入つて居ることが、皆の注意にのぼる様になつた。
実際九百部を過ぎてから、進みは一向、はかどらなくなつた。二十部、三十部、五十部、心ある女たちは、文字の見えない自身たちのふがひなさ[#「ふがひなさ」に傍点]を悲しんだ。郎女の苦しみを、幾分でも分担することが出来ように、と思ふからである。
南家の郎女が、宮から召されることになるだらうと言ふ噂が、京・洛外に拡つたのも、其頃である。屋敷中の人々は、身近く事《つか》へる人たちから、垣内《かきつ》の隅に住む奴隷《やつこ》・婢奴《めやつこ》の末にまで、顔を輝して、此とり沙汰を迎へた。
でも、姫には、誰一人其を聞かせる者がなかつた。其ほど、此頃の姫は気むづかしく、外目《よそめ》に見えてゐるのである。
千部手写の望みは、さうした大願から立てられたものだらうと言ふ者もあつた。そして誰も、其を否む者はなかつた。
南家の姫の美しい膚は益透きとほり、潤んだ目は、愈大きく黒々と見えた。さうして、時々声に出して誦《じゆ》する経文が、物の音《ね》に譬へやうもなく、さやかに人の耳に響いた。聞く人自身の耳を疑ふばかりだつた。
去年の春分の日の事であつた。入り日の光りをまともに受けて、姫は正座して、西に向つて居た。日は此屋敷からは、稍|坤《ひつじさる》によつた山の端に沈むのである。西空の棚雲の紫に輝く上で、落日は俄かに転《くるめ》き出した。その速さ。雲は炎になつた。日は黄金《わうごん》の丸《まるがせ》になつて、その音も聞えるかと思ふほど鋭く廻つた。雲の底から立ち昇る青い光りの風――、姫は、ぢつと見つめて居た。やがて、すべての光りは薄れて、雲は霽れた。夕闇の上に、目を疑ふほど鮮やかに見えた山の姿。二上山である。その二つの峰の間に、あり/\と荘厳な人の俤が、瞬間顕れて消えた。後は真暗な闇の空である。山の端も、雲も何もない方に、目を凝《こら》して、姫は何時までも端座して居た。
姫の心は、其時から愈澄んだ。併し、極めて寂しくなり勝《まさ》つて行くばかりである。
ゆくりない日が、半年の後に再来て、姫の心を無上《むしやう》の歓喜に引き立てた。其は秋彼岸の中日、秋分の夕方であつた。姫は曾ての春の日のやうに坐してゐた。朝から、姫の白い額は、故もなくひよめいた[#「ひよめいた」に傍点]。長い日の後である。二上山の峰を包む雲の上に、中秋の日の爛熟した光りが、くるめき出したのである。雲は火となり、日はまるがせとなり、青い響きの吹雪を吹き捲く風。
雲がきれ、光りのしづまつた山の端は、細く金の外輪を靡かして居た。其時峰の間に、あり/\と浮き出た髪、頭、肩、胸――。
姫は又、あの俤を見ることを得たのである。南家の郎女の幸福な噂が、春風に乗つて来たのは、次の春である。姫は別様の心躍りを、一月も前から感じて居た。さうして日を数《と》り初めて、ちようど今日と言ふ日。彼岸中日、春分の空が朝から晴れて、雲雀は天に翔り過ぎて帰らないほど、青雲が深々とたなびいて居た。郎女は、九百九十九部を写し果して、千部目にとりついて居た。日一日、のどかな温い春であつた。経巻の最後の行、最後の字を書きあげて、ほつと息をついた。あたりは俄かに、薄暗くなつて居る。目をあげて見る蔀窓の外には、雨がしと/\と落ちて居るではないか。姫は立つて手づから簾をあげて見た。雨。
苑の青菜が濡れ、土が黒ずみ、やがては瓦屋にも音が立つて来た。
姫は立つても坐《すわ》ても居られぬ焦燥に煩えた。併し日は益々暗くなり、夕暮れに次いで、夜が来た。
茫然として、姫はすわつて居る。人声も、雨音も、荒れ模様に加つて来た風の響きも、もう姫は聞かなかつた。
二
南家の郎女が神隠《かみかく》しに遭つたのは、其夜であつた。家人は、翌朝空が霽れ、山々がなごりなく見えわたる時まで、気がつかなかつたのである。横佩墻内《よこはきかきつ》に住む者は、男も女も、上《うは》の空になつて、京中京外を馳せ求めた。さうした奔《はし》り人《びと》の多く見出される場処と場処とは、残りなく捜された。春日山の奥へ入つたものは、伊賀境までも踏み込んだ。高円山の墓原も佐紀山の雑木原も、又は、南は山村《やまむら》、北は奈良山。馳せ廻つて還る者も/\、皆|空《から》足を踏んで来た。
姫は何処をどう歩いたか、覚えがない。唯、家を出て西へ/\と辿つて来た。降り暮るあらしが、姫の衣を濡した。姫は誰にも教はらないで、裾を脛《はぎ》まであげた。風は姫の髪を吹き乱した。姫は、髻《もとゞり》をとり束ねて、襟から着物の中に、くゝり入れた。夜中になつて雨風が止み、星空が出た。姫の行くてに、二つの峰の並んだ山の立ち姿がはつきりと立つて居た。毛孔の竪つやうな畏しい声を、度々聞いた。ある時は、鳥の音であつた。其後、頻りなく断続したのは、山の獣の叫び声であつた。大和の内も、都に遠い広瀬旧城あたりには、人居などは、ほんの忘れ残りのやうに、山蔭などにあるだけで、あとは曠野と、本村《ほんむら》を遠く離れた田居《たゐ》ばかりである。
片破れ月が出て来た。其が却てあるいてゐる道の辺の凄さを照し出した。其でも、星明りで辿つて居るよりは、よるべを生じて、足が先へ/\と出た。月が中天へ来ない前に、もう東の空がひいはり[#「ひいはり」に傍点]白んで来た。
夜のほの/″\明けに、姫は目を疑ふばかりの現実に出くはした。
横佩家の侍女たちは、何時も夜の起きぬけに、一等最初に目撃した物事で、日のよしあしを占うて居るやうだつた。さうした女らのふるまひに、特別に気を牽かれなかつた郎女だけれど、よく其人々が、「今日の朝日がよかつたから」「何と言ふ情ない朝日だ」などゝ、そは/\と興奮したり、むやみに塞ぎこんだりして居るのを見聞きしてゐた。
郎女は、生れてはじめて「朝日よく」と謂つた語を内容深く成じたことである。目の前に、赤々と丹塗《にぬ》りに照り輝いて、朝日を反射して居るのは、寺の大門ではないか。さうして、門をとほして、第二の門が見えて、此もおなじ丹塗りにきらめいて居る。
山裾の勾配に建てられた堂、塔、伽藍は、更に奥に、朱《あけ》に、青に、金色に光りの靄を幾重にも重ねて見渡された。朝日のすがしさは、其ばかりではなかつた。其寂寞たる光りの海の中から、高く抽でゝ見えるのは、二上山であつた。
淡海《たんかい》公の孫、大織冠《たいしよくくわん》の曾孫藤氏南家の族長太宰、帥豊成、其|第一嬢子《だいいちぢやうし》なる姫である。屋敷から一歩はおろか、女部屋から膝行《ゐざ》り出ることすら、たまさかにもせない郎女《いらつめ》のことだ。順道《じゆんたう》なれば、今頃は既に、藤原の氏神河内の枚岡《ひらをか》の御神《おんかみ》か、春日の御社《みやしろ》に仕へてゐるはずである。家に居ても、男を寄せず、耳に男の声も聞かず、男の目を避けて、仄暗い女部屋に起き伏しゝてゐる人である。世間の事は、何一つ聞き知りも、見知りもせぬやうに育てられて来た。
寺と言ふ物が、奈良の内外にも幾つとあつて、横佩|墻内《かきつ》と讃《たゝ》へられてゐる屋敷よりも、もつと広大なものだとは聞いて居た。さうでなくても、経文の上に見る浄土の荘厳《じやうごん》をうつした其建て物の様には、想像しないではなかつた。だが目《ま》のあたり見る尊さは讃歎の声すら立たなかつた。
之に似た驚きの経験を、曾て一度したことがあつた。姫は今其を思ひ起して居る。簡素と豪奢との違ひこそあれ、歓喜に撲たれた心地は印象深く残つてゐる。
今の 太上天皇様がまだ宮廷の御あるじで居させられた頃、八歳《はつさい》の南家の郎女《いらつめ》は、童女《わらはめ》として初《はつ》の殿上《でんじやう》をした。穆々《ぼく/\》たる宮の内の明りは、ほのかな香気を含んで流れて居た。昼すら真夜に等しい御帳台《みちやうだい》のあたりにも、尊いみ声は昭々と珠を揺る如く響いた。物わきまへもない筈の八歳の童女は感泣した。
「南家には、惜しい子が、娘となつて生れたことよ」と仰せられたと言ふ畏れ多い風聞が、暫らく貴族たちの間にくり返された。
其後十二年、南家の娘は二十になつてゐる。幼いからの聡《さと》さにかはりはなくて、玉|水精《すゐしやう》の美しさが加つて来たとの噂が年一年と高まつて来る。
姫は大門の閾を越えながら、童女殿上《わらはめでんじやう》の昔の畏《かしこ》さを追想して居た。長いいしき[#「いしき」に傍点]道を踏んで、二の門に届いた時も、誰一人出あふ者がなかつた。恐れを知らず育てられた大貴族の郎女は、虔《つゝま》しく併しのどかに、御堂々々の御仏を礼んで、東塔の岡に来たのであつた。
こゝからは、北の平野は見えない。見えたところで、郎女は奈良の家を考へ浮べることもしなかつたであらう。まして、家人たちが、神隠しに遭つた姫を探しあぐねて居ようなどゝは、思ひもよらなかつたのである。唯うつとりと、塔の下から仰ぎ見る二上山の山肌に、現《うつ》し世《よ》の目からは見えぬ姿を見ようとして居るのであらう。
此時分になつて、寺では、人の動きが繁くなり出した。晨朝の勤めをすまして、うと/\して居た僧たちも、爽やかな朝の眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]いて、食堂へ降りて行つた。奴娘《ぬひ》は其に持ち場/\の掃除を励む為に、洗つたやうになつた境内に出て来た。
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そこに御座るのは、どなたやな
[#ここで字下げ終わり]
岡の蔭から、恐る/\頭をさし出して問うた一人の婢子《めやつこ》は、あるべからざる事を見た様に、自分自身を咎めるやうな声をかけた。女の身として、此岡へ上る事は出来なかつたのである。姫は答へようとせなかつた。又答へようとしても、かう言ふ時に使ふ語には馴れて居ない人であつた。若し又、適当な語を知つて居たにしたところで、今は、そんな事に考へを紊されてはならない時だつたのである。
姫は唯、山を見てゐる。山の底にある俤を観じ入つてゐるのである。
娘奴《めやつこ》は二|言《こと》と問ひかけなかつた。一晩のさすらひ
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