来た身狭《むさ》ノ乳母《おも》は、郎女の前に居たけを聳かして掩ひになつた。外光の直射を防ぐ為と、一つは、男たちの前殊には、庶民の目に貴人《あてびと》の姿を暴《さら》すまいとするのであらう。
伴に立つて来た家人の一人が、大きな木の又枝《またぶり》をへし折つて、之に旅用意の巻帛《まきぎぬ》を幾垂れか結び下げて持つて来た。其を牀《ゆか》につきさして、即座の竪帷《たつばり》―几帳―は調つた。乳母《おも》は、其前に座を占めて、何時までも動かなかつた。


       七

怒りの滝のやうになつた額田部ノ子古は、奈良に還つて、公に訴へると言ひ出した。大和ノ国にも断つて、寺の奴原を逐ひ退けて貰ふとまで、いきまいた。紫微内相を頭《かしら》に、横佩家に深い筋合ひのある貴族たちの名をあげて、其方々からも、何分の御吟味を願はずには置かぬと、凄い顔をして住侶たちを脅かした。
郎女は貴族の姫で入らせられようが、寺の浄域を穢し、結界まで破られたからは、直にお還りになるやうには計はれない。寺の四至の境に在る所で、長期の物忌みして、贖《あがな》ひはして貰はねばならぬと、寺方も言ひ分を挽つこめなかつた。理分にも非分に
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