声に出した。
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ほゝき ほゝきい
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何時も、悲しい時に泣きあげて居た、あの声ではなかつた。「をゝ此身は」と思つた時に、自分の顔に触れた袖は、袖ではないものであつた。枯れ生《ふ》の冬草山の山肌の色をした小さな翼であつた。思ひがけない声を、尚も出し続けようとする口を、押へようとすると、自身すらいとほしんで居た柔らかな唇は、どこかへ行つてしまつて、替りにさゝやかな管のやうな喙が来てついて居る――。悲しいのか、せつないのか、何の考へさへもつかなかつた。唯身悶へをした。すると、ふはりと[#「ふはりと」に傍点]からだは宙に浮き上つた。留めようと、袖をふれば振るほど、身は次第に、高く翔り昇つて行つた。月の照る空まで……。その後今に到るまで
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ほゝき ほゝきい ほゝほきい
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と鳴いてゐるのだと、幼い耳に染《し》みつけられた物語の出雲の嬢子が、そのまゝ自分であるやうな気がして来る。
郎女は、徐《しづ》かに両袖《もろそで》を胸のあたりに重ねて見た。家に居時よりは、萎《な》れ、皺《しわ》立つてゐるが、小鳥の羽《はね》とはなつて居なかつた。手をあげて唇にさはつて見ると、喙でもなかつた。やつぱり、ほつとり[#「ほつとり」に傍点]とした、感触を指の腹に覚えた。
ほゝき鳥《どり》―鶯―になつて居た方がよかつた。昔語の嬢子は、男を避けて山の楚原へ入り込んだ。さうして、飛ぶ鳥になつた。この身は、何とも知れぬ人の俤にあくがれ出て、鳥にもならずに、こゝにかうして居る。せめて蝶鳥《てふとり》にでもなれば、ひら/\と空に舞ひのぼつて、あの山の頂に、俤をつきとめに行けるものを――。
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ほゝき ほゝきい
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自身の咽喉から出た声だと思つた。だがやはり、廬の外で鳴くのである。
郎女の心に、動き初めた叡《さと》い光りは消えなかつた。今まで手習した書巻の何処やらに、どうやら、法喜[#「法喜」に傍点]と言ふ字のあつた気がする。法喜――飛ぶ鳥すらも、美しいみ仏の詞に感《かま》けて鳴くのではなからうか。さう思へば、この鶯も、
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ほゝき ほゝきい
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嬉しさうな高音《たかね》を段々張つて来る。
物語する刀自たちの話でなく、若人《わかうど》らの言ふこ
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