ひたかみ》の国、国々に伝はるありとある歌諺《うたことわざ》、又|其旧辞《そのもとつごと》、第一には、中臣の氏の神語り、藤原の家の古物語、多くの語り詞《ごと》を絶えては考へ継ぐ如く、語り進んでは途切れ勝ちに、呪々《のろ/\》しく、くね/\しく、独り語りする語部や、おもやまゝ[#「おもやまゝ」に傍点]たちの唱へる詞が、今更めて寂しく胸に蘇つて来る。
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をゝ、あれだけの習はしを覚えて此世に生きながらへて行かねばならぬ自身だつた。
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父に感謝し、次には尊い大叔母君、其から見ぬ世の曾祖母の尊に、何とお礼申してよいか量り知れないものが、心にたぐり上げて来た。
だが[#「だが」に傍点]まづ、父よりも誰よりも、御礼申すべきはみ仏である。この珍貴《ウヅ》の感覚《さとり》を授け給ふ、限り知られぬ愛《めぐ》みに充ちたよき人が、此世界の外に居られたのである。郎女は、塗香《づこう》をとり寄せて、まづ髪にふり灌ぎ、手に塗り、衣を薫るばかりに浄めた。[#地付き](つゞく)
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死者の書(終篇)
六
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ほゝき ほゝきい ほゝほきい。
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きのふよりも、澄んだよい日になつた。春にしては、驚くばかり濃い日光が、地上にかつきりと、木草の影を落して居た。ほか/\した日よりなのに、其を見てゐると、どこか薄ら寒く感じるほどである。時々に過ぎる雲の翳りもなく、晴れきつた空だ。高原を拓いて、間引《まび》いた疎らな木原《こはら》の上には、もう沢山の羽虫が出て、のぼつたり降《さが》つたりして居る。たつた一羽の鶯が、よほど前から一処を移らずに、鳴き続けてゐるのだ。
家の刀自たちが、物語る口癖を、さつきから思ひ出して居た。出雲[#(ノ)]宿禰の分れの家の嬢子《をとめ》が、多くの男の寄つて来るのを煩はしがつて、身をよけよけして、何時か山の林の中に分け入つた。さうして其処で、まどろんで居る中に、悠々《うら/\》と長い春の日が暮れてしまつた。嬢子は、家路と思ふ径をあちこち歩いて見た。脚は茨の棘にさゝれ、袖は木の楚《ずはえ》にひつぱられた。さうしてとう/\、里らしい家|群《むら》の見える小高い岡の上に上つた時は、裳《も》も著物も裂けちぎれて居た。空には夕月が光りを増して来てゐる。嬢子はさくり上げて来る感情を
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