へ/\と出た。月が中天へ来ない前に、もう東の空がひいはり[#「ひいはり」に傍点]白んで来た。
夜のほの/″\明けに、姫は目を疑ふばかりの現実に出くはした。
横佩家の侍女たちは、何時も夜の起きぬけに、一等最初に目撃した物事で、日のよしあしを占うて居るやうだつた。さうした女らのふるまひに、特別に気を牽かれなかつた郎女だけれど、よく其人々が、「今日の朝日がよかつたから」「何と言ふ情ない朝日だ」などゝ、そは/\と興奮したり、むやみに塞ぎこんだりして居るのを見聞きしてゐた。

郎女は、生れてはじめて「朝日よく」と謂つた語を内容深く成じたことである。目の前に、赤々と丹塗《にぬ》りに照り輝いて、朝日を反射して居るのは、寺の大門ではないか。さうして、門をとほして、第二の門が見えて、此もおなじ丹塗りにきらめいて居る。
山裾の勾配に建てられた堂、塔、伽藍は、更に奥に、朱《あけ》に、青に、金色に光りの靄を幾重にも重ねて見渡された。朝日のすがしさは、其ばかりではなかつた。其寂寞たる光りの海の中から、高く抽でゝ見えるのは、二上山であつた。
淡海《たんかい》公の孫、大織冠《たいしよくくわん》の曾孫藤氏南家の族長太宰、帥豊成、其|第一嬢子《だいいちぢやうし》なる姫である。屋敷から一歩はおろか、女部屋から膝行《ゐざ》り出ることすら、たまさかにもせない郎女《いらつめ》のことだ。順道《じゆんたう》なれば、今頃は既に、藤原の氏神河内の枚岡《ひらをか》の御神《おんかみ》か、春日の御社《みやしろ》に仕へてゐるはずである。家に居ても、男を寄せず、耳に男の声も聞かず、男の目を避けて、仄暗い女部屋に起き伏しゝてゐる人である。世間の事は、何一つ聞き知りも、見知りもせぬやうに育てられて来た。
寺と言ふ物が、奈良の内外にも幾つとあつて、横佩|墻内《かきつ》と讃《たゝ》へられてゐる屋敷よりも、もつと広大なものだとは聞いて居た。さうでなくても、経文の上に見る浄土の荘厳《じやうごん》をうつした其建て物の様には、想像しないではなかつた。だが目《ま》のあたり見る尊さは讃歎の声すら立たなかつた。
之に似た驚きの経験を、曾て一度したことがあつた。姫は今其を思ひ起して居る。簡素と豪奢との違ひこそあれ、歓喜に撲たれた心地は印象深く残つてゐる。
今の 太上天皇様がまだ宮廷の御あるじで居させられた頃、八歳《はつさい》の南家の郎女《いらつめ》
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