のと見た目は替るまい。
[#ここで字下げ終わり]


       十五

世の人の心はもう、賢しくなり過ぎて居た。ひとり語りの物語などに、信をうちこんで聴く者はなくなつてゐる。聞く人のない森の中などで、よくつぶ/″\と物言ふ者があると思うて近づくと、其は語部の家の者だつたなど言ふ話が、どの村でも、笑ひ咄のやうに言はれるやうな世の中だ。
当麻語部[#(ノ)]嫗なども、都の上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《じやうらふ》のもの疑ひせぬ清い心に、知る限りの事を語りかけようとした。だが、忽違つた氏の語部なるが故に、追ひ退けられたのであつた。
さう言ふ聴きてを見当てた刹那に持つた執心は深かつた。その後、自身の家の中でも、又|廬堂《いほりだう》に近い木立の蔭でも、或は其処を見おろす山の上からでも、郎女に向つてするひとり語りを続けて居た。
今年八月、当麻の氏人に縁深いお方が、めでたく世にお上りなされた時こそ、再|己《おの》が世に来たと、ほくそ笑みをして居た――が、氏の神祭りにも、語部を請《しやう》じて神語りを宣《の》べさせようともしなかつた。ひきついであつた、勅使の参向の節にも、呼び出されて、当麻氏の古物語を奏上せいと仰せられるかと思うて居たのも、空頼みになつて、その沙汰がなかつた。其此はもう、自分、自分の祖《おや》たちが長く覚え伝へ語りついで、かうした世に逢はうとは考へもつかなかつた時代《ときよ》が来たのだと思うた瞬間、何もかも見知らぬ世界に住んでゐる気がして、唯驚くばかりであつた。娯しみを失ひきつた当麻の古婆は、もう飯を喰べても味は失つてしまつた。水を飲んでも、口をついて、独り語りが囈語《うはごと》のやうに出るばかりになつた。
秋深くなるにつれて、衰への目立つて来た嫗は、知る限りの物語りを、喋りつゞけて死なうと言ふ腹をきめた。さうして郎女の耳に近い処を、ところをと、覚めてさまよふやうになつた。

郎女は、奈良の家に送られたことのある大唐の彩色《ゑのぐ》の数々を思ひ出した。其を思ひついたのは、夜であつた。今から、横佩墻内へ馳けつけて、彩色を持つて還れと、命ぜられたのは、女の中に唯一人残つた長老《おとな》である。つひしかこんな言ひつけをしたことのない郎女の、性急な命令に驚いて、女たちも又、何か事が起るのではないかとおど/\して居た。だが、身狭乳母《む
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