。
芥川さんなどは若木の盛りと言ふ最中に、鴎外の幽靈のつき纏ひから遁れることが出來ないで、花の如く散つて行かれました。今一人、此人のお手本にしてゐたことのある漱石居士などの方が、私の言ふ樣な文學に近づきかけて居ました。整正を以てすべての目安とする、我が國の文學者には喜ばれぬ樣ですが、漱石晩年の作の方が遙かに、將來力を見せてゐます。麻の葉や、つくね芋の山水を崩した樣な文人畫や、詩賦をひねくつて居た日常生活よりも高い藝術生活が、漱石居士の作品には、見えかけてゐました。此人の實生活は、存外概念化してゐましたが、やつぱり鴎外博士とは違ひました。あの捨て身から生れて來た將來力をいふ人のないのは遺憾です。
さて明治前の文學者に、人間生活の暗示を見せた作家があつたでせうか。私は、最過去各時代の文學に厚薄なく愛著を持つ者ですが、どうにも「ある」を言ひきる勇氣はありません。
紫式部――私は、此一人をば信じませんが――は、時代煩悶を作者の心の上の事實にして居ますが、後者の内に移すだけの描寫力を缺いて居ました。だから、露はな現實の問題すら、おもしろをかしく讀み通させました。でも、菊池寛さんの代表したていま[
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