走婚と言ふ方法を考へに入れねば、奪掠の真意義もわかりにくからうと思ふ。
地方豪族の娘は、其土地の神の巫女たる者が多い。殊に神に関した事のみ語る物語の性質から見ても、此等の処女が、巫女であつた事は察せられる。巫女なるが故に、人間の男との結婚に、此までの神との仲らひを喜んで棄てる様に見えては、神にすまなくもあり、其怒りが恐ろしいのである。其で形式としても、逃走婚の姿をとらなければならなかつた。又真実、従来の生活と別れる事の愛着の上から言つても、自然にもさうなつたであらう。弟媛《オトヒメ》の如きは其例で、原則としての巫女の処女生活を守り貫いた訣である。大郎女《オホイラツメ》の方は、あんなに逃げて置きながらと思はれる程、つかまつたとなると、極めて従順であつた様である。
此も沖縄の民間伝承が此の説明に役立つ。首里市から陸上一里半海上一里半の東方にある久高島では、島の女のすべてが、一生涯の半は、神人として神祭りに与かる。大正の初めに島中の申し合せで自今廃止と言ふ事になつて、若い男たちがほつとした結婚法がある。
婚礼の当夜、盃事がすむと同時に、花嫁は家を遁げ出て、森や神山(御嶽《オタケ》と言ふ)や岩
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