々の君主は、しだいに強い村の君主に従えられてゆき、村々は大きな村の下に併合せられていって、大きな村の称する国名が、村々をも籠《こ》めてしまうことになった。秋津洲《あきつしま》・磯城島《しきしま》と倭《やまと》、みな大和平原における大きな村の名であった。他の村々の君主も、大体において、おなじような信仰組織を持って、村を統《す》べていた。倭宮廷の勢力が、村々の上に張ってくると、事大の心持ちから、自然にいよいよ似よったものになってきたであろう。
 村の君主は国造《くにのみやつこ》と称せられた。後になるほど、政権の含蓄がこの語《ことば》に乏しくなって、教権の存在を感じるようになっていったようである。国造と称することを禁じ、村の君主の後をすべて郡領《こおりのみやつこ》と呼びかえさせ、一地方官吏とみなすことになっても、なお私《ひそ》かに国造と称するものが多かった。平安朝になっても、政権に関係なく、村々の君主の祀った神を、子孫として祀っている者には、国造の称号を黙認していたようである。出雲国造・紀国造・宗像《ムナカタ》国造などの類である。倭宮廷でも、天子自ら神主として、神に仕えられた。村々の君主も、
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