宿を頼むと、今晩は新嘗ですからとにべ[#「にべ」に傍点]もなく断った。妹筑波に頼むと新嘗の夜だけれど、お母さんだからと言うて、内に入れてもてなした。それから母神の呪咀によって、富士は一年中雪がふって、人のもてはやさぬ山となり、筑波は花紅葉によく、諸人の登ることが絶えぬとある。
新嘗の夜は、神と巫女と相共に、米の贄を喰う晩で、神事に与らぬ男や家族は、脇に出払うたのである。早稲を煮たお上《あが》り物を奉る夜だといっても、あの人の来ているのを知って、表に立たしておかれようか、という処女なる神人の心持ちを出した民謡である。後のは、亭主を外へ出してやって、女房一人、神人としての役をとり行うているこの家の戸を、つき動かすのは誰だ。さては、忍び男だな、というくらいの意味である。
神社が祭りを専門に行うところというふうになって、家々の祭りがだんだん行われなくなると、家の処女や、主婦が巫女としての為事を忘れてしまうようになる。それでも徳川の末までは、一時《イツトキ》上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《じょうろう》などと言って、女の神人を、祭りのために、臨時に民家から択び出
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