りも語の方が古いのである。こういった結婚法がやはりだんだんと見えている。
 奪掠婚《だつりゃくこん》というが、これは近世ばかりか、今も、その形式は内地にも残っている。ただ古代の奪掠法とも見える結婚の記録も、巫女生活の記念という側から見ると、そう一概にも定められぬところがある。景行天皇に隙見せられた美濃ノ国|泳《クヽリ》[#(ノ)]宮《ミヤ》[#(ノ)]弟媛《おとひめ》(景行紀)は、天子に迎えられたけれども、隠れてしもうて出て来ない。姉|八坂入媛《ヤサカイリヒメ》をよこして言うには「私はとつぎ[#「とつぎ」に傍線]の道を知りませんから」というのである。
 おなじ天皇が、日本武尊らの母|印南大郎女《イナミオホイラツメ》(播磨風土記)の許《もと》に行かれた際、大郎女は逃げて逃げて、加古川の川口の印南都麻《イナミツマ》という島に上られた。ところが川岸に残した愛犬が、その島に向いて吠えたので、そこに居ることが知れて、天子が出向いて連れ戻られた。印南の地名は、隠れる・ひっこもるなどの意の「いなむ」という語の名詞形から出たのだといふ。島の名も、かくれ妻という意だとある。「いなみづま」言いかへれば、逃
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