は、家に迎えることをせない。これは平安朝になってもそうである。だからどうしても、長子などはたいてい極《ごく》の幼時は、母の家で育つのである。古くから祖の字を「おや」と訓《よ》まして、両親の意でなく「おっかさん」の意に使うことになっているのは、字は借り物だが、語には歴史がある。母をもっぱら親とも言うのは、父に親しみの薄かった幼時の用語を、成長後までも使うたためである。
 娘の家へ通う神の話は、それこそ数えきれぬほどある。これは神ばかりでなく、人も行うた為方《しかた》であった。どこから来るとも名のらず、ひどいのになると、顔や姿さへ暗闇まぎれに一度も見せないのがある。小説とは言いじょう、源氏物語の人情物の時代になっても、なおかつ、光源氏の夕顔の許《もと》へ通いつづけたころは、紐のついた顔|掩《おお》いをしていたように書いてある。まさかそのころはそんなこともなかったであろうと思う。が、こうしたことのできるのは、過去の長い繰り返しのなごりである。つまりは、よその村の男が通うて来る時に、とった方法と見るべきであろう。よその村が異種族の団体と見られていたのは、国家意識が出て後にも、なお続いていたであ
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