葉(巻十二)に「たらちねの母がよぶ名を申さめど、道行く人を誰と知りてか」という歌のあるのは『あなたは、自分の名も家も言わないじゃありませんか。あなたがおっしゃれば、母が私によびかける私の名をば、おあかしも申しましょうが、行きすがりの人としてのあなたを、誰とも知らずに申されましょうか。』というのである。兄弟にも知らせない名、母だけが知っている名――父は知っているにしてもこうした言い方はする。しかし、母だけの養い子の時代を考えると、父母同棲の後もそんなこともなかったとは言えない――その名を、他人で知っているというのは夫だけである。女が男に自分の名を知られることは、結婚をするということになる。だから、男は思う女の名を聞き出すことに努める。錦木を娘の家の門に立てた東人《あずまびと》とは別で、娘の家のまわりを、自身名と家とを喚《よば》うてとおる。これが「よばひ」でもあり「名告《なの》り」でもある。女がその男に許そうと思うと、はじめて自分の名をその男に明《あか》して聞かすのであった。
 こうして許された後も、男は、女の家に通うので、「よばふ」「なのる」が、意義転化をした時代になっても、ある時期の間は、家に迎えることをせない。これは平安朝になってもそうである。だからどうしても、長子などはたいてい極《ごく》の幼時は、母の家で育つのである。古くから祖の字を「おや」と訓《よ》まして、両親の意でなく「おっかさん」の意に使うことになっているのは、字は借り物だが、語には歴史がある。母をもっぱら親とも言うのは、父に親しみの薄かった幼時の用語を、成長後までも使うたためである。
 娘の家へ通う神の話は、それこそ数えきれぬほどある。これは神ばかりでなく、人も行うた為方《しかた》であった。どこから来るとも名のらず、ひどいのになると、顔や姿さへ暗闇まぎれに一度も見せないのがある。小説とは言いじょう、源氏物語の人情物の時代になっても、なおかつ、光源氏の夕顔の許《もと》へ通いつづけたころは、紐のついた顔|掩《おお》いをしていたように書いてある。まさかそのころはそんなこともなかったであろうと思う。が、こうしたことのできるのは、過去の長い繰り返しのなごりである。つまりは、よその村の男が通うて来る時に、とった方法と見るべきであろう。よその村が異種族の団体と見られていたのは、国家意識が出て後にも、なお続いていたであ
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