説はわるい。やはり素朴に、女軍人の部隊と説く考えが、ほんとうである。巫女の従軍した事実は際限なくあることで、皆戦場において、神の意思を問うためである。それとともに、女軍を指揮するのだから、真の戦闘力よりも、信仰の上から薄気味のわるい感じを持っていたのであろう。一方からは、他の種族の祀る異教神の呪力を、物ともせない勇者にとっては、きわめて脆《もろ》い相手であったのである。神武天皇なども、女軍を破って、敵を窮地に陥れていられる。
黄泉醜女《ヨモツシコメ》の黄泉|軍衆《イクサ》というのも、死の国の獰猛《どうもう》な女の編成した、死の国の軍隊ということである。いざなぎの命[#「いざなぎの命」に傍線]が、あれほどに困らされた伝えのあるのも、祖先の久しい戦争生活から来た印象である。
沖縄の記録を見ると、三百年前までは、巫女従軍の事実はしばしば見えている。離島方面では、島々の小ぜり合いに、こうした神意の戦争が、近年までくり返されていたことと思われる。
四 結婚――女の名
「妻覓《ツマヽ》ぎ」という古語は、一口に言えば求婚である。厳格に見れば、妻探しということになる。これと似た用語例にある語は「よばふ」である。竹取物語の時代になると、すでに後世風な聯想のあったことが見えているが、やはり「呼ぶ」を語原としているのである。大きな声をあげて物を言うことである。つまり「なのる」というのと、同義語なのである。名誉ある敵手の出現を望む武士の、戦場で自ら氏名を宣する形式を言うことになってしもうたが、古くは、もっとなまめかしいものであった。
人の名は秘密であった。男の名も、ずっと古くは幾通りも設けておいて、どれが本名だかわからなくしたものがあった。大汝《おおなむち》[#(ノ)]命《みこと》などの名の一部分の意義は、大名持《おおなもち》すなわち多数の名称所有者の意であって、名誉ある名「大名《オホナ》」を持つという意ではないようだ。事実いろいろの名を持った神である。名を人格の一部と見て、本名を知れば、呪咀なども自在に行うことができるものと見たところから、なるべく名を周知させぬようにしたのである。男はそれではとおらぬ時代になっても、女は世間的な生活に触れることがすくなかったため、久しく、この風は守りおおせたものである。平安朝の中末のころになっても、やはりそうであったようである。
万
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