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古事記の倭建《ヤマトタケル》の臨終の思邦《クニシヌビ》歌が、日本紀では、景行天皇の筑紫巡幸中の作となつて居り、豊後風土記(尚少し疑ひのある書物だが)にも同様にある。此はほんの一例に過ぎない。
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時と処とに連れて、妥当性を自由に拡げてゆくのが、民間伝承の中、殊に言語伝承の上に多く見える事がらである。此なども、木梨[#(ノ)]軽皇子型の叙事詩の一変形と見てさし支へないものなのである。いつたい、軽皇子物語が、一種の貴種流離譚なので、其前の形がまだあつたのだ。神の鎮座に到るまでの、漂泊を物語る形に、恋の彩どりを豊かに加へ、原因に想到し、人間としての結末をつけて、歴史上の真実のやうな姿をとるに到つた。だから、叙事詩の拗れが、無限に歴史を複雑にする。更に考へを進めると、続日本紀以後の国史に記されて居る史実と考へられて居る事も、史官の日次記や、若干の根本史料ばかりで、伝説の記録や、支那稗史をまねた当時の民間説話の漢文書きなどを用ゐなかつたとは言はれない。
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最大きな一例を挙げると、楚辞や、晋唐時代の稗史類には、民間説話を其まゝ記録した、神仙と人
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