二首を「乙麻呂の妻(又、相手方久米[#(ノ)]若売とも見てよからう)の歌」、後二首を「乙麻呂の歌」と言ふ風に、註があるべきである。まづ巻一の「麻続王流於伊勢国伊良虞島之時人哀傷作歌」と同様に扱ふのが正しからう。さうすると、言ひ出しの文句のよそ/\しさも納得がつく。布留・石上は、極《ごく》近所だから、又石上氏・布留氏共に物部の複姓《コウヂ》で、同族でもあるから、かう言うたものとも考へられるが、併し布留氏は別にれつき[#「れつき」に傍点]として存して居るのだから、かうした表現を採る訣がない。やはり枕詞を利用して、石上氏をきかし、聯想の近い為に、却つて暗示が直ちに受けとれ相な布留を出して、名高い事件の主人公を匂はしたのは、偶然に出来たのであらうが、賢い為方である。此が、身の近い者の作でない最初の証拠だ。「嫋女のまどひ」も、物語の形を継いだ叙事脈の物でなくては、言ふ必要のない興味である。次には、地名の配置が変な点である。此歌で見ると、真土山を越えて行くことを見せて居る。ところが三番目の歌では、河内境の懼《カシコ》の阪と言ふのを越す様にある。さうして、住吉の神に参るのが順路だから、第二の歌に出て
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