であらうと思ふ。藤原・奈良、及び平安の初期に亘つて行はれた仙人の内容は、艶美であつて、人間の男との邂逅を待つて居る仙女なども這入つて居たのである。後世のぼろをさげた様な仙人ばかりではなかつた。「標の山」は本義を忘れられて、装飾に仙山を作り、天子の寿を賀する意を含めたものであらう。平安朝にはじまつた意匠でないと思はれる所の、人形を此に据ゑると言ふ事は、原義の明らかだつた時代には、神の形代であつたらうと思はれるのである。

     三 新しいほかひ[#「ほかひ」に傍線]の詞

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石[#(ノ)]上|布留《フル》の大人《ミコト》は、嫋女《タワヤメ》の眩惑《マドヒ》によりて、馬じもの縄とりつけ、畜《シヽ》じもの弓矢|囲《カク》みて、大君の御令畏《ミコトカシコ》み、天離《アマサカ》る鄙辺《ヒナベ》に罷《マカ》る。ふるころも真土の山ゆ還り来ぬかも(石上乙麻呂卿配土左国之時歌三首並短歌の中、万葉巻六)
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土佐に配せられた時の歌とあるばかりで、誰の歌ともない。普通の書き方の例から見ると、此は「時人之歌」とでもあるべき筈である。でなければ、古義などの様に、前
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