たものと見える。
返し祝詞は、宮内省掌典部の星野輝興氏が、多くを採集して居られる。
千秋万歳の、宮中初春の祝言に出るのは、室町頃から見えてゐる。此は北畠・桜町の唱門師の為事であつた。忌部の事務の、卜部の手に移つたものは多い。其が更に、陰陽道の方に転じて、その配下の奴隷部落の専務と言ふ姿になつたものであらう。社寺の奴隷はある点では、一つものと誤解せられる傾きがあつた。それを又利用して、口過ぎのたつきとした。社寺の保護が完全に及ばぬ様になると、世の十把一とからげの考へ方に縋つて、大体同じ方向の職業に進むことになつた。手工類の内職で、伝習に基礎を置くものは別として、本業は事実、混乱し易く、此を併合しても目に立たなかつた。唱門師なども、大抵寺奴であり、社奴であると言ふ資格から、入り乱れて、複雑な内容を持つた職業を作り上げたが、唱門なる語の輪廓がむやみに拡つて、すべてを容れる様になつたと言ふ側からも考へられる。
寺の奴隷から出たものは、三井寺の説経師・叡山の導師の唱導を口まねをした、本縁・利生・応報の実例を、章句としては律要素の少い、口頭の節まはしに重きを置くやうな説経を語つて、口過ぎのたつきと
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