おなじく感染力を利用するが、結果は頗《すこぶる》交錯して現れる所の、今一つ別の原因がある。言語精霊の考へである。従来、無制限に称へられて来た、人語に潜む精霊の存在を言ふ説は、ある点まで条件をつけねばなるまい。散文風に現れる日常対話にはない事で、神託・神語にばかりあるものと信じて居たのである。太詔戸[#(ノ)]命が、或は此意味の神ではなからうかと言ふ想像は、前に述べた。ことだま[#「ことだま」に傍線]は言語精霊といふよりは寧、神託の文章に潜む精霊である。
さて、言霊《コトダマ》のさきはふ[#「さきはふ」に傍線]と言ふのは、其活動が対象物に向けて、不思議な力を発揮することである。辻占の古い形に「言霊のさきはふ道の八衢《やちまた》」などゝ言うて居るのは、道行く人の無意識に言ひ捨てる語に神慮を感じ、其暗示を以て神文の精霊の力とするのである。要するに、神語の呪力と予告力とを言ふ語であるらしい。其信仰から、人の作つた呪言にも、神の承認を経たものとして、霊力の伴ふものと考へられたのである。此夕占の側から見ても、亀津比女との交渉は、説明が出来るのである。
私の話は、寿詞を語りながら、まだ何の説明もし
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