#「ほぐ」に傍線]の方が、ほむ[#「ほむ」に傍線]よりは、原義を多く留めて居た。単に予祝すると言ふだけではなかつた。「はだ薄ほ[#「ほ」に傍線]に出し我や……」(神功紀)など言ふ「ほ」は、後には専ら恋歌に使はれる様になつて「表面に現れる」・「顔色に出る」など言ふ事になつて居る。併し、神慮の暗示の、捉へられぬ影として、譬へば占象(うらかた)の様に、象徴式に現れる事を言ふ様だ。末(うら)と、秀(ほ)とを対照して見れば、大体見当がつく。「赭土(あかに)のほ[#「ほ」に傍線]に」など言ふ文句も、赭土の示す「ほ」と言ふ事で、神意の象徴をさす語である。此「ほ」を随伴させる為の詞を唱へる事を、ほぐ[#「ほぐ」に傍線]と言うて居たのであろうが、今一つ前の過程として、神が「ほ」を示すと言ふ義を経て来た事と思ふ。文献に現れた限りのほぐ[#「ほぐ」に傍線]には、うけひ[#「うけひ」に傍線]・うらなひ[#「うらなひ」に傍線]の義が含まれてゐる様である。
ある注意を惹く様な事が起つたとする。古人は、此を神の「ほ」として、其暗示を知らうとした。茨田(まむだ)の堤(又は媛島)に、雁が卵《コ》を産んだ事件があつて、建
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