ほかひ[#「酒ほかひ」に傍線]と言ふのは、唯の酒もりではない。酒を醸す最初の言ほぎ[#「言ほぎ」に傍線]の儀式を言ふのだ。どうかすれば、酒をつくる為の祝ひ、上出来の祈願の様に見えるが、其は当らない。「……ますら雄のほぐ[#「ほぐ」に傍線]豊御酒に、我ゑひにけり」(応神紀)は、ほぎし[#「ほぎし」に傍点]の時間省略の形である。此は、待ち酒の恒例化したもので、酒づくりの始めを利用して、長寿の言ほぎ[#「言ほぎ」に傍線]して占うたものなのである。此部分が段々閑却せられて来ると、よく醗酵する様に祈ると言ふ方面が、ことほぎ[#「ことほぎ」に傍線]の一つの姿となつて来る。酒ほかひ[#「酒ほかひ」に傍線]なる語が、酒宴の義に近づく理由である。かうした変化は、どの方面のほかひ[#「ほかひ」に傍線]にもあつた事なのである。唯、酒は元もと神事から出たものだから、出発点に於ける占ひの用途を考へない訣《わけ》にはいかない。
室ほぎ[#「室ほぎ」に傍線]の側になると、此因果関係は交錯して居る。弘計《ヲケ》王の室ほぎ[#「室ほぎ」に傍線]の寿詞は、恐らく世間一般に行はれて居た文句なのであらう。建て物の部分々々に詞を寄せて、家長の生命を寿して居る。柱は心の鎮り、梁は心の栄《ハヤ》し、椽は心の整り、蘆※[#「權のつくり」、第4水準2−91−83]《エツリ》は心の平ぎ、葛根《ツナネ》は命の堅め、葺き芽は富みの過剰《アマリ》を示すと言ふ風の文句の後が、今用ゐて居る酒の来歴を述べる讃歌風のもので、酒ほかひ[#「酒ほかひ」に傍線]の変形である。さうして其後が「掌やらゝに、拍《ウ》ちあげ給はね。わが長寿者《トコヨ》(常齢)たち」(顕宗紀)の囃し詞めいた文で結んでゐる。此処にも、室ほぎ[#「室ほぎ」に傍線]と生命の寿との関係が見える。
新築によつて、生活の改まらうとする際に、家長の運命を定めて置かうとするのである。此方は、生命と其対照に置かれる物質とはあるが、占ひの考へは、含まれて居ない様だ。唯あるのは、譬喩から来るまじなひ[#「まじなひ」に傍線]である。
新築の家でなくとも、言ほぎ[#「言ほぎ」に傍線]によつて、新室とおなじ様にとりなす事の出来るものと考へた事もあるらしい。毎年の新嘗に、特に新嘗屋其他の新室を建てる事は出来ないから、祓《ハラ》へと室ほぎ[#「室ほぎ」に傍線]とを兼ねた大殿祭《オホトノホカヒ》の祝詞の様なものも出来た。例年の新嘗・神今食《ジンコンジキ》並びに大嘗祭には、式に先つて、忌部が、天子平常の生活に必出入せられる殿舎を廻つて、四隅にみほぎの玉[#「みほぎの玉」に傍線]を懸けて、祝詞を唱へて歩いた。みほぎ[#「みほぎ」に傍線]と言ふのは、神が表すべき運命の暗示を、予め人が用意して於て祝福するので、此場合、玉は神璽《しんじ》として用ゐたのではない。出雲国造神賀詞の「白玉の大御白髪まし、赤玉のみあからびまし、青玉のみづえの玉のゆきあひに、明《アキ》つ御神と大八島国しろしめす……」など言ふ譬喩を含んだものなのである。

     四 よごと

寿詞が、完全に齢言《ヨゴト》の用語例に入つて来たのは、宮廷の行事が、機会毎に天子の寿をなす傾きを持つてゐたからであらう。民間の呪言が、悉く家長の健康・幸福を祈る事を、目的としてばかり居たとは言へない。単純に、農作・建築・労働などに効果を招来しようとする呪言が、多くあつたに違ひない。
毎年々頭、郡臣拝賀のをり、長臣が代表して寿詞《ヨゴト》を奏した例は、奈良朝迄も続いたものと見る事が出来る。文字は「賀正事」と宛てゝ居るが、やはりよごと[#「よごと」に傍線]である。家持の「今日ふる雪のいや頻《シ》け。よごと[#「よごと」に傍線]」(万葉巻二十)は、此寿詞の効果によつて、永久に寿詞の奏を受けさせ給ふ程に、長寿あらせ給へと言ふのである。又「千年をかねて、たぬしき完《ヲ》へめ」(古今巻二十)なども、新年宴の歓楽を思ふばかりでなく、寿詞によつて、天子の寿の久しさを信じ得た人の、君を寿しながら持つ豊かな期待である。古くは各豪族各部曲から、代表者が出て、其々《それぞれ》伝来の寿詞《ヨゴト》を申した事、誄詞《シヌビゴト》と同様であつた事と思はれる。其文言は、中臣天神寿詞・神賀詞などに幾分似通うたものであらう。真直に延命の希望ばかりを述べる事は、尠かつたらうと考へる。
最古い呪言は、神託のまゝ伝襲せられたと言ふ信仰の下に、神の断案であり、約束であり、強要でもあつたのである。神の呪言の威力は永久に亡びぬものとして大切に秘密に伝誦せられて居た。「天《アマ》つのりとの太《フト》のりと言《ゴト》」と称せられるものが、其なのである。文章の一部分に、此神授の古い呪言を含んだものが、忌部氏の祝詞並びに、伊勢神宮祝詞・中臣氏の天神寿詞の中にある。
殊に其
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