古い姿を思はせて居るのは、鎮火祭の祝詞である。
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天降りよさしまつりし時に、言《コト》よさしまつりし天つのりと[#「のりと」に傍線]の太のりと言[#「のりと言」に傍線]を以ちて申さく
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と前置きし、
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……と、言教へ給ひき。此によりてたゝへ言《コト》完《ヲ》へまつらば、皇御孫《スメミマ》の尊の朝廷《ミカド》に御心暴(いちはや)び給はじとして……天つのりと[#「のりと」に傍線]の太のりと言[#「のりと言」に傍線]をもちて、たゝへ言|完《ヲ》へまつらくと申す。
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と結んで居る。其中の部分が、天つ祝詞なのである。火の神の来歴から、其暴力を逞くした場合には、其を防ぐ方便を神から授かって居る。火の神の弱点も知つて居る。其敵として、水・瓢・埴・川菜のある事まで、母神の配慮によつて判つて居ると説く文句である。神言の故を以て、精霊の弱点をおびやかすのである。此祝詞は、今在る祝詞の中、まづ一等古いもので、齢言《ヨゴト》以外の寿詞《ヨゴト》の俤を示すものではなからうかと思ふ。但、天つ祝詞以外の文句は、時代は遥かに遅れて居る。
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最愛季子《マナオトゴ》に火産霊《ホムスビノ》神生み給ひて、みほと焼かえて岩隠りまして[#「みほと焼かえて岩隠りまして」に傍点]、夜は七夜、日は七日、我をな見給ひそ。我が夫の命と申し給ひき。此七日には足らずて、隠ります事あやしと見そなはす時、火を生み給ひてみほと焼かえましき[#「火を生み給ひてみほと焼かえましき」に傍点]。
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など言ふ文は、古風であるが、表現が如何にも不熟である。此程古拙なものは、他には見当らない。呼応法の古い形式を、充分に残してゐる。
他の天つのりと[#「天つのりと」に傍線]云々を称する祝詞は、皆別に天つ祝詞があつて、其部分を示さなかつたのかと思はれる程、其らしい匂ひを留めぬものである。大祓祝詞に見えた天つ祝詞などは、恐らく文中には省いてあるのであらうが、中には、精霊を嚇す為に、其伝来を誇示したものもある様だし、或はもつと不純な動機から、我が家の祝詞の伝襲に、時代をつけようとしたのかと思はれるものさへある。
天つ祝詞の類の呪言が一等古いもので、此は多く、伝承を失うて了うた。所謂三種祝詞と称するとほかみゑみため[#「とほかみゑみため」に傍線]と言ふ呪言が、天つのりと[#「天つのりと」に傍線]だとするのは、鈴木重胤である。

     五 天つ祝詞

天つ祝詞にも色々あつたらしく思はれる。鎮火祭の祝詞などでも、挿入の部分は、とほかみゑみため[#「とほかみゑみため」に傍線]などゝは、かなり様子が変つて居る。天つ祝詞を含んで、唱へる人の考への這入つて居る此祝詞は、第二期のものである。今一つ前の形が天つ祝詞の名で一括せられてゐる古い寿言なのである。第三期以下の形は、神の寿詞の姿をうつす事によつて、呪言としての威力が生ずると言ふ考へに基いて居る。其製作者は、現神《アキツカミ》即神主なる権力者であつたであらう。第四期としては、最大きな現神の宮廷に、呪言の代表者を置く事になつた時代で、天武天皇の頃である。
「亀卜祭文(釈紀引用亀兆伝)」には、太詔戸《フトノリト》[#(ノ)]命の名が見え、亀兆伝註には、亀津比女《カメツヒメ》[#(ノ)]命の又の名を天津詔戸太詔戸《アマツノリトフトノリト》[#(ノ)]命として居る。一とほり見れば、占ひの神らしく見える。今一歩進めて見れば、三種祝詞に属した神と言ふ事になる。思ふに、亀津比女[#(ノ)]命は固より亀卜の神であらう。太詔戸[#(ノ)]命は一般の天つ祝詞の神であり、亀津比女[#(ノ)]命は其一部の「とほかみゑみため」の呪言の神なのではなからうか。此神は祝詞屋の神で、一柱とも二柱とも考へる事が出来たのであらう。若し此考へがなり立つとすれば、太詔戸[#(ノ)]命は、寿詞・祝詞に対して、どう言ふ位置を持つ事になるであらう。
呪言の最初の口授者は、祝詞の内容から考へると、かぶろき[#「かぶろき」に傍線]、かぶろみ[#「かぶろみ」に傍線]の命らしく見える。併し、此は唯の伝説で、こんなに帰一せない以前には、口授をはじめた神が沢山あつたに違ひない。ところが伝来の古さを尊ぶ所から、勢力ある神の方へ傾いて行つたのであらう。天津詔戸太詔戸[#(ノ)]命は、古い呪言一切に関して、ある職能を持つた神と考へられたものとしても、何時からの事かは知れない。
神語を伝誦する精神から、呪言自身の神が考へられ、呪言の威力を擁護し、忘却を防ぐ神の存在も必要になつて来る。此意味に於て、太詔戸[#(ノ)]命と言ふ不思議な名の神も祀られ出したのではなからうか。其外に、今二つの考へ方がある。呪言
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