囲に入つてゐる。殊に言語の上のまじなひ[#「まじなひ」に傍線]の多いのは、神賀詞である。御ほぎの神宝が、一々意味を持つて居る。白玉・赤玉・青玉・横刀・白馬・白鵠《クヾヒ》・倭文《シドリ》・若水沼間《ワカミヌマ》・鏡が譬喩になつて、縁起のよい詞が続いて居る。此等は名称の上の譬喩から、更に抽象的に敷衍して居るのである。古くから伝へて居る譬喩ほど、具象性と近似性が多くなつて居る。常磐・堅磐は実は古代の室ほぎ[#「室ほぎ」に傍線]から出たもので、床岩《トキハ》・壁岩《カキハ》と、生命の堅固との間に、類似を見たのである。
天の八十蔭(天の御蔭・日の御蔭)葛根《ツナネ》など言ふのは、皆屋の棟から結び垂れた葛《カツラ》の縄である。やはり、室ほぎ[#「室ほぎ」に傍線]に胚胎した。其長いところから、生命の長久のほかひ[#「ほかひ」に傍線]に使はれて居る。桑の木の活力の強さから「いかし八《ヤ》桑枝」と言ふ常套語が出来てゐる。此等は近代の人の考へる様な単純な譬喩ではなく、其等の物の魅力によつて、呪術を行うた時代があつた為であらう。其等の物質の、他を感染させる力によつて、対象物をかぶれさせようとするのである。
おなじく感染力を利用するが、結果は頗《すこぶる》交錯して現れる所の、今一つ別の原因がある。言語精霊の考へである。従来、無制限に称へられて来た、人語に潜む精霊の存在を言ふ説は、ある点まで条件をつけねばなるまい。散文風に現れる日常対話にはない事で、神託・神語にばかりあるものと信じて居たのである。太詔戸[#(ノ)]命が、或は此意味の神ではなからうかと言ふ想像は、前に述べた。ことだま[#「ことだま」に傍線]は言語精霊といふよりは寧、神託の文章に潜む精霊である。
さて、言霊《コトダマ》のさきはふ[#「さきはふ」に傍線]と言ふのは、其活動が対象物に向けて、不思議な力を発揮することである。辻占の古い形に「言霊のさきはふ道の八衢《やちまた》」などゝ言うて居るのは、道行く人の無意識に言ひ捨てる語に神慮を感じ、其暗示を以て神文の精霊の力とするのである。要するに、神語の呪力と予告力とを言ふ語であるらしい。其信仰から、人の作つた呪言にも、神の承認を経たものとして、霊力の伴ふものと考へられたのである。此夕占の側から見ても、亀津比女との交渉は、説明が出来るのである。
私の話は、寿詞を語りながら、まだ何の説明もし
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