#「とほかみゑみため」に傍線]と言ふ呪言が、天つのりと[#「天つのりと」に傍線]だとするのは、鈴木重胤である。
五 天つ祝詞
天つ祝詞にも色々あつたらしく思はれる。鎮火祭の祝詞などでも、挿入の部分は、とほかみゑみため[#「とほかみゑみため」に傍線]などゝは、かなり様子が変つて居る。天つ祝詞を含んで、唱へる人の考への這入つて居る此祝詞は、第二期のものである。今一つ前の形が天つ祝詞の名で一括せられてゐる古い寿言なのである。第三期以下の形は、神の寿詞の姿をうつす事によつて、呪言としての威力が生ずると言ふ考へに基いて居る。其製作者は、現神《アキツカミ》即神主なる権力者であつたであらう。第四期としては、最大きな現神の宮廷に、呪言の代表者を置く事になつた時代で、天武天皇の頃である。
「亀卜祭文(釈紀引用亀兆伝)」には、太詔戸《フトノリト》[#(ノ)]命の名が見え、亀兆伝註には、亀津比女《カメツヒメ》[#(ノ)]命の又の名を天津詔戸太詔戸《アマツノリトフトノリト》[#(ノ)]命として居る。一とほり見れば、占ひの神らしく見える。今一歩進めて見れば、三種祝詞に属した神と言ふ事になる。思ふに、亀津比女[#(ノ)]命は固より亀卜の神であらう。太詔戸[#(ノ)]命は一般の天つ祝詞の神であり、亀津比女[#(ノ)]命は其一部の「とほかみゑみため」の呪言の神なのではなからうか。此神は祝詞屋の神で、一柱とも二柱とも考へる事が出来たのであらう。若し此考へがなり立つとすれば、太詔戸[#(ノ)]命は、寿詞・祝詞に対して、どう言ふ位置を持つ事になるであらう。
呪言の最初の口授者は、祝詞の内容から考へると、かぶろき[#「かぶろき」に傍線]、かぶろみ[#「かぶろみ」に傍線]の命らしく見える。併し、此は唯の伝説で、こんなに帰一せない以前には、口授をはじめた神が沢山あつたに違ひない。ところが伝来の古さを尊ぶ所から、勢力ある神の方へ傾いて行つたのであらう。天津詔戸太詔戸[#(ノ)]命は、古い呪言一切に関して、ある職能を持つた神と考へられたものとしても、何時からの事かは知れない。
神語を伝誦する精神から、呪言自身の神が考へられ、呪言の威力を擁護し、忘却を防ぐ神の存在も必要になつて来る。此意味に於て、太詔戸[#(ノ)]命と言ふ不思議な名の神も祀られ出したのではなからうか。其外に、今二つの考へ方がある。呪言
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