国文学の発生(第四稿)
唱導的方面を中心として
折口信夫
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)最《もつとも》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)神|憑《ガヽ》り
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「女+櫂のつくり」、第3水準1−15−93]
[#…]:返り点
(例)若[#二]此言之麗義[#一]
[#(…)]:訓点送り仮名
(例)天[#(ノ)]窟戸
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)シバ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−
[#3字下げ]呪言から寿詞へ[#「呪言から寿詞へ」は大見出し]
[#5字下げ]一 呪言の神[#「一 呪言の神」は中見出し]
たゞ今、文学の信仰起原説を最《もつとも》頑なに把《と》つて居るのは、恐らくは私であらう。性の牽引や、咄嗟の感激から出発したとする学説などゝは、当分折りあへない其等の仮説の欠点を見てゐる。さうした常識の範囲を脱しない合理論は、一等大切な唯の一点をすら考へ洩して居るのである。音声一途に憑《ヨ》る外ない不文の発想が、どう言ふ訣《わけ》で、当座に消滅しないで、永く保存せられ、文学意識を分化するに到つたのであらう。恋愛や、悲喜の激情は、感動詞を構成する事はあつても、文章の定型を形づくる事はない。又第一、伝承記憶の値打ちが、何処から考へられよう。口頭の詞章が、文学意識を発生するまでも保存せられて行くのは、信仰に関聯して居たからである。信仰を外にして、長い不文の古代に、存続の力を持つたものは、一つとして考へられないのである。
信仰に根ざしある事物だけが、長い生命を持つて来た。ゆくりなく発した言語詞章は、即座に影を消したのである。
私は、日本文学の発生点を、神授(と信ぜられた)の呪言《ジユゴン》に据ゑて居る。而《しか》も其《その》古い形は、今日溯れる限りでは、かう言つてよい様である。稍《やや》長篇の叙事脈の詞章で対話よりは拍子が細くて、諷誦の速さが音数よりも先にきまつた傾向の見える物であつた。左右相称・重畳の感を満足させると共に、印象の効果を考へ、文の首尾の照応に力を入れたものである。さうした神|憑《ガヽ》りの精神状態から来る詞章が、度々くり返された結果、きまつた形を採る様になつた。邑落の生活が年代の重なるに従つて、幾種類かの詞章は、村の神人から神人へ伝承せられる様になつて行く。
春の初めに来る神が、自ら其種姓を陳《の》べ、此国土を造り、山川草木を成し、日月闇風を生んで、餓ゑを覚えて始めて食物を化成した(日本紀一書)本縁を語り、更に人間の死の起原から、神に接する資格を得る為の禊《ミソ》ぎの由来を説明して、蘇生の方法を教へる。又、農作物は神物であつて、害《そこな》ふ者の罪の贖《あがな》ひ難い事を言うて、祓《ハラ》への事始めを述べ、其に関聯して、鎮魂法の霊験を説いて居る。
かうした本縁を語る呪言が、最初から全体としてあつたのではあるまい。土地家屋の安泰、家長の健康、家族家財の増殖の呪言としての国生みの詞章、農業に障碍する土地の精霊及び敵人を予め威嚇して置く天つ罪[#「天つ罪」に傍線]の詞章、季節の替り目毎に、青春の水を摂取し、神に接する資格を得る旧事を説く国つ罪[#「国つ罪」に傍線]――色々な罪の種目が、時代々々に加つて来たらしい――の詞章、生人の為には外在の威霊を、死人・惚《ホ》け人の為には游離魂を身中にとり込めて、甦生する鎮魂《タマフリ》の本縁なる天[#(ノ)]窟戸《いはと》の詞章、家屋の精霊なる火の来歴と其弱点とを指摘して、其災ひせぬ事を誓はせる火生みの詞章、――此等が、一つの体系をなさぬまでも、段々結合して行つた事は察せられる。
本縁を説いて、精霊に過去の誓約を思ひ出させる叙事脈の呪言が、国家以前の邑落生活の間にも、自由に発生したものと見てよい。尤《もつとも》、信仰状態の全然別殊な村のあつた事も考へられる。が、後に大和に入つて民族祖先の主流になつた邑落は固より、其外にも、同じ条件を具へた村々があり、後々次第に、此形式を模して行つた処のある事も、疑ふ事は出来ない。私は倭の村の祖先の外にも、多くの邑落が山地定住以前、海に親しい生活をして居た時代を考へて居る。
延喜式祝詞で見ると、宮廷の呪言は、かむろぎ[#「かむろぎ」に傍線]・かむろみ[#「かむろみ」に傍線]の発言、天照大神宣布に由る物だから――呪言、叙事詩以来の古代詞章式の論理によつて――中臣及び、一部分は斎部の祖先以来代宣して、今に到つてゐると言ふ信仰を含めて説き起すのが通有形式である。呪言の神を、高天原の父神・母神として居るのである。而も其呪力の根源力を抽象して、興台産霊《コトヾムスビノ》神――日本紀・姓氏録共にこゝと[#「こゝと」に傍線]と訓註して居るのは、古い誤りであらう――といふ神を考へて居る。さうして同じく、祝詞の神であつた為に、中臣氏の祖先と考へられたらしい天児屋《アメノコヤネ》[#(ノ)]命は、此神の子と言ふ事になつてゐる。むすび[#「むすび」に傍線]と言ふのは、すべて物に化寓《ヤド》らねば、活力を顕す事の出来ぬ外来魂なので、呪言の形式で唱へられる時に、其に憑り来て其力を完うするものであつた。興台《コトヾ》――正式には、興言台と書いたのであらう――産霊《ムスビ》は、後代は所謂|詞霊《コトダマ》と称せられて一般化したが、正しくはある方式即と[#「と」に傍線]を具へて行ふ詞章《コト》の憑霊と言ふことが出来る。
こやね[#「こやね」に傍線]は、興言台《コトヾ》の方式を伝へ、詞章を永遠に維持し、諷唱法を保有する呪言の守護神だつたらしい。此中臣の祖神と一つ神だと証明せられて来た思兼《オモヒカネ》[#(ノ)]神は、たかみむすび[#「たかみむすび」に傍線]の子と伝へるが、ことゞむすび[#「ことゞむすび」に傍線]の人格神化した名である。此神は、呪言の創製者と考へられてゐたものであらう。尤、此神以前にも、呪言の存在した様な形で、記・紀其他に伝承せられてゐるが、かうした矛盾はあるべき筈の事である。恐らく開き直つて呪言の事始めを説くものとしておもひかね[#「おもひかね」に傍線]によつて深く思はれて出来たのが、神の呪言の最初だとしたのであらう。即、天[#(ノ)]窟戸を本縁とした鎮魂の呪言――此詞章は夙《はや》く呪言としては行はれなくなり、叙事詩として専ら物語られる事になつたらしい。さうして其代りに物部氏伝来の方式の用ゐられて来たことは明らかである――を、最尊く最完全な詞章の始まりとしたものらしい。
[#ここから2字下げ]
時に、日神聞きて曰はく「頃者、人雖[#二]多請《シバ/\マヲス》[#一]未[#レ]有[#下]若[#二]此言之麗義[#一]者[#上]也。」(紀、一書)
[#ここで字下げ終わり]
請は申請の義で、まをす[#「まをす」に傍線]と訓むのは古くからの事である。申請の呪言に、まをす[#「まをす」に傍線]・まをし[#「まをし」に傍線]と言ふから、其諷誦の動作までも込めて言うたのだ。前々にも呪言を奏上した様に言うてあるが、此は本縁説明神話の常なる手落ちである。
善言・美辞を陳《つら》ねて、荘重な呪言の外形を整へ、遺漏なく言ひ誤りのない物となつたのは、此神の力だとする。此神を一に八意思金《ヤゴヽロオモヒカネ》[#(ノ)]神と言ふのも、さうした行き届いた発想を讃美しての名である。
こやね[#「こやね」に傍線]は、神或は、神子の唱へるはずの呪言を、代理者の資格で宣する風習及び伝統の発端を示す神名であり、諷誦法や、副演せられる呪術・態様の規定者とせられたのであらう。斎部の祖神と謂はれる天[#(ノ)]太玉[#(ノ)]命は、其呪術・態様を精霊に印象させる為に副演する役であつた。さうして、呼び出した正邪の魂の這入る浄化したところを用意して、週期的に来る次の機会まで、其処に封じ籠めて置く。此籠める側の記憶が薄れて、浄化する方面が強く出て、いむ[#「いむ」に傍線]・ゆむ[#「ゆむ」に傍線]・ゆまふ[#「ゆまふ」に傍線]・ゆまはる[#「ゆまはる」に傍線]など言ふ語《ことば》の意義は変つて行つた。斎部氏はふとだま[#「ふとだま」に傍線]以来と言ふ信念の下に、呪言に伴ふ神自身の身ぶりや、呪言の中、とりわけ対話風になつた部分を唱へる様になつたと見ればよい。呪言の一番神秘な部分は、斎部氏が口誦する様になつて行つた。天《アマ》つ祝詞《ノリト》・天つ奇護言《クスシイハヒゴト》と称するもの――かなり変改を経たものがある――で、斎部祝詞に俤《おもかげ》を止めてゐるのは、其為である。
中臣祝詞の中でも、天つ祝詞又は、中臣の太詔戸《フトノリト》と言はれてゐる部分である。此は祓へを課する時の呪言であつて、さうした場合にも古代論理から、呪言の副演を行ふ斎部は、呪言神の群行[#「群行」に傍線]の下員であつて、みこともち[#「みこともち」に傍線](御言持者)であつた、主神役なる中臣が此を口誦し、自ら威《イツ》の手で――これまた、神の代理だが、万葉集巻六の「すめら我がいつのみ手もち……」と言ふ歌の、天子の御手同時に神の威力のある手ともなると言ふ考へと同じく――祓への大事の中心行事を執り行うた――大祓方式の中の、中臣神主自ら行ふ部分――のである。斎部宿禰の為事が、段々卜部其他の手に移つて行つて、その伝承の呪言も軽く視られるやうになつてから、天神授与の由緒は称へながら、斎部祝詞は、神秘を守る事が出来なくなつた。
中臣祝詞の間や末に、斎部の唱へる部分があつた習慣から、斎部祝詞が分離したものか。斎部祝詞が、祝詞の精髄なる天つ祝詞と唱へて、祓除《ハラヘ》・鎮斎《イハヒ》に関した物ばかりである事――此部分だけ独立したのだらう――、辞別《コトワキ》の部分が斎部関係の事項であるものが多い事――幣帛や、大宮売《オホミヤノメ》[#(ノ)]神や斎部関係の事が、其《それ》だ。辞別は、必しも文の末ばかりでない処を見ると、こゝだけ辞の変る処であつたのだ。「又申さく」「殊《コト》更に申さく」などの意に考へられて、宣命にも、祝詞にも、さうした用例が出て来た――などが此を示して居る。延喜式祝詞の前後或は中に介在して、宣命と同じ形式の伝宣者の詞がある様に、今一つ古い形の中臣祝詞にも、中臣の言ふ部分と、斎部の誦する部分とがあつたのであらう。
かう考へて来ると、呪言には古くから「地」の部分と「詞」の部分とが分れる傾向が見えて居たのである。此が祝詞の抜きさし自由な形になつて、一部分を唱へる事も出来、伝来の詞を中に、附加文が添はつて来たりもした理由である。さうして、此呪言の神聖な来歴を語る呪言以外に附加せられた部分が、第一義ののりと[#「のりと」に傍線]であつたらしく、其|心《シン》になつてゐるものが、古くはよごと[#「よごと」に傍線]を以て総称せられて居たのだ。よごと[#「よごと」に傍線]が段々一定の目的を持つた物に限られる様になつてから、元の意義の儘のよごと[#「よごと」に傍線]に近い物ばかりを掌《つかさど》り、よごと[#「よごと」に傍線]に関聯した為事を表にする斎部の地位が降つて来る様になつたのも、時勢である。其は一方、呪言の神の原義が忘れられた為である。
かむろぎ[#「かむろぎ」に傍線]・かむろみ[#「かむろみ」に傍線]と言ふ語には、高天原の神のいづれをも、随意に入れ替へて考へる事が出来た。父母であり、又考位・妣位の祖先でもある神なのだ。だから、かむろぎ[#「かむろぎ」に傍線]即たかみむすびの神[#「たかみむすびの神」に傍線]に、天照大神を並べてかむろみ[#「かむろみ」に傍線]と考へてゐた事もある。此両位の神に発生した呪言が、円満具足し、其存続が保障せられ、更に発言者の権威以外に、外在の威霊が飛来すると言ふ様に展開して行つた。私の考へでは、詞霊《コトダマ》信仰の元なることゞむすび[#「ことゞむすび」に
次へ
全14ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング