傍線]は、外来魂信仰が多くの物の上に推し拡げられる様になつた時代、即わりあひに遅れた頃に出た神名だと思ふ。
[#5字下げ]二 常世国と呪言との関係[#「二 常世国と呪言との関係」は中見出し]
おもひかねの命[#「おもひかねの命」に傍線]を古事記には又、常世《トコヨ》[#(ノ)]思金[#(ノ)]神とも伝へてゐる。呪言の創始者は、古代人の信仰では、高天原の父神・母神とするよりも、古い形があつた様である。とこよ[#「とこよ」に傍線]は他界で、飛鳥・藤原の都の頃には、帰化人将来の信仰なる道教の楽土海中の仙山と次第に歩みよつて、夙くから理想化を重ねて居た他界観念が非常に育つて行つた。
とこよ[#「とこよ」に傍線]は元、絶対永久(とこ)の「闇の国」であつた。其にとこ[#「とこ」に傍線]と音通した退《ソ》く・底《ソコ》などの聯想もあつたものらしく、地下或は海底の「死の国」と考へられて居た。「夜見の国」とも称へる。其処に転生して、其土地の人と共食すると、異形身に化して了うて、其国の主の免《ゆる》しが無ければ、人間身に戻る事は出来ない。蓑笠を著た巨人――すさのをの命[#「すさのをの命」に傍線]・隼人(竹笠を作る公役を持つ)・斎明紀の鬼――の姿である。とき/″\人間界と交通があつて、岩窟の中の阪路を上り下りする様な処であつた。其常闇の国が、段々光明化して行つた。海浜邑落にありうちの水葬――出雲人と其分派の間には、中世までも著しく痕跡が残つて居た――の風習が、とこよの国[#「とこよの国」に傍線]は、村の祖先以来の魂の集注《ツマ》つて居る他界と考へさせる様になつた。海岸の洞穴――恐ろしい風の通ひ路――から通ふ海底或は、海上遥かな彼岸に、さうした祖先以来の霊は、死なずに生きて居る。絶対の齢《ヨ》の国の聯想にふり替つて来た。其処に居る人を、常世人[#「常世人」に傍線]とも又単にとこよ[#「とこよ」に傍線]・常世神[#「常世神」に傍線]とも言うた。でも、やはり、常夜・夜見としての怖れは失せなかつた。段々純化しては行つたが、いつまでも畏しい姿の常世人を考へてゐた地方も多い。
冬と春との交替する期間は、生魂・死霊すべて解放せられ、游離する時であつた。其際に常世人は、曾《かつ》て村に生活した人々の魂を引き連れて、群行《グンギヤウ》(斎宮群行は此形式の一つである)の形で帰つて来る。此|訪問《オトヅレ》は年に稀なるが故に、まれびと[#「まれびと」に傍線]と称へて、饗応《アルジ》を尽して、快く海のあなたへ還らせようとする。邑落生活の為に土地や生産、建て物や家長の生命を、祝福する詞を陳べるのが、常例であつた。
尤、此は邑落の神人の仮装して出て来る初春の神事である。常世のまれびと[#「まれびと」に傍線]たちの威力が、土地・庶物の精霊を圧服した次第を語る、其|昔《カミ》の神授の儘と信じられてゐる詞章を唱へ、精霊の記憶を喚び起す為に、常世神と其に対抗する精霊とに扮した神人が出て、呪言の通りを副演する。結局精霊は屈従して、邑落生活を脅かさない事を誓ふ。
呪言と劇的舞踊は段々発達して行つた。常世の神の呪言に対して、精霊が返奏《カヘリマヲ》しの誓詞を述べる様な整うた姿になつて来る。精霊は自身の生命の根源なる土地・山川の威霊を献じて、叛かぬことを誓約《ウケヒ》する。精霊の内の守護霊を常世神の形で受けとつた邑落或は其主長は、精霊の服従と同時に其持つ限りの力と寿と富とを、享ける事になるのである。かうした常世のまれびと[#「まれびと」に傍線]と精霊(代表者として多くは山の神[#「山の神」に傍線])との主従関係の本縁を説くのが古い呪言である。
呪言系統の詞章の宮廷に行はれたものが一転化して、詔旨(宣命《センミヤウ》)を発達させた。庶物の精霊だけでなく、身中に内在する霊魂にまでも、威力は及すものと信ぜられて居た。年頭の朝賀の式は、段々、氏々の代表者の賀正事《ヨゴト》(天子の寿を賀する詞)奏上を重く見る様になつたが、恒例の大事の詔旨は、此受朝の際に行はれた。賀正事《ヨゴト》は、詔旨に対する覆奏《カヘリマヲシ》なのであつた。此詔旨が段々臨時の用を多く生じて宣命が独立する様になつたのだ。延喜式祝詞の多くが、宮廷の人々及び公民を呼びかけて聴かせる形になつてゐるのは、此風から出て、更に他の方便をも含んで来たのである。宮廷の尊崇する神を信じさせ、又呪言の効果に与らせようとする様になつたのだ。だから延喜式祝詞は、大部分宣命だと言うてもよい様な姿を備へてゐる。宣命に属する部分が、旧来の呪言を包みこんで、其境界のはつきりせぬ様になつたものが多いのである。
詔旨は、人を対象とした一つの祝詞であり、やがて祝詞に転化する途中にあるものである上に、神授の呪言を宣り降す形式を保存して居たものである。法令《ノリ》の古い形は、かうした方法で宣《ノ》り施された物なることが知れる。
呪言は一度あつて過ぎたる歴史ではなく、常に現実感を起し易い形を採つて見たので、まれびと神[#「まれびと神」に傍線]の一人称――三人称風の見方だが、形式だけは神の自叙伝体――現在時法(寧、無時法)の詞章であつたものと思はれる。完了や過去の形は、接続辞や、休息辞の慣用から来る語感の強弱が規定したものらしい。神亀元年二月四日(聖武即位の日)の詔を例に見て頂きたい。父帝なる文武天皇は曾祖父、元明帝は祖母、元正帝は母と言ふ形に表され、而も皆一つの天皇《スメラミコト》であつて、天神の顕界《ウツシヨ》に於ける応身《オホミマ》(御憑身)であり、当時の理会では、御孫《ミマ》であつた。日のみ子[#「日のみ子」に傍線]であると共に、みまの命[#「みまの命」に傍線]であると言ふのは、子孫の意ではなく、にゝぎの命[#「にゝぎの命」に傍線]と同体に考へたのだ。おしほみゝの命[#「おしほみゝの命」に傍線]が、大神と皇孫との間に介在せられるのは、みま[#「みま」に傍線]を御孫と感じた時代からの事であらう。聖武帝の御心も、元正帝の御心も、同一人の様な感情や待遇で示されてゐる。長い時間の推移も、助動詞助辞の表しきつて居ない処がある。
さうした呪言の文体が、三人称風になり、時法を表す様になつて来たのは――(宣命の様に固定した方面もあつたが)――可なり古代からの事であつたらしい。此が呪言の叙事詩化し、物語を分化する第一歩であつた。
わたつみの国[#「わたつみの国」に傍線]も常世の国[#「常世の国」に傍線]と考へられて行つた。わたつみの神[#「わたつみの神」に傍線]は富みの神であり、歓楽の主であり、又ほをりの命[#「ほをりの命」に傍線]に、其兄を征服する様々の呪言と呪術とを授けた様に、呪言の神でもあつた。又一方よみの国[#「よみの国」に傍線]は、呪言と其に附随してゐる占ひ[#「占ひ」に傍線]との本貫の様な姿になつて居た。
すさのをの命[#「すさのをの命」に傍線]は、興言《コトアゲ》の神であり、誓約《ウケヒ》の神である。祓除・鎮魂の起原も、此神に絡んでゐるのは、理由がある。鎮火祭の祝詞は、よみの国[#「よみの国」に傍線]のいざなみの命[#「いざなみの命」に傍線]の伝授であつたらしく、いざなぎの命[#「いざなぎの命」に傍線]の檍原《アハギハラ》の禊ぎも呪言から出た行事に相違ないが、此もよみの国[#「よみの国」に傍線]を背景にしてゐる。
ことゞ[#「ことゞ」に傍線]と言ふ語は、よもつひら阪[#「よもつひら阪」に傍線]の条では、絶縁の誓約の様に説かれてゐるが、用例が一つしか残つて居ない為の誤解であらう。興台産霊《コトヾムスビ》の字面がよくことゞ[#「ことゞ」に傍線]の義を示してゐる。ことゞふ[#「ことゞふ」に傍線]は、かけあひ[#「かけあひ」に傍線]の詞を挑みかける義で、※[#「女+櫂のつくり」、第3水準1−15−93]歌会《カヾヒ》の場《ニハ》などに言ふのは、覆奏を促す呪言の形式を見せて居る。ことあげ[#「ことあげ」に傍線]はことゞあげ[#「ことゞあげ」に傍線]の音脱らしく、対抗者の種姓を暴露して、屈服させる呪言の発言法であつた。紀に泉津守道《ヨモツチモリ》・菊理《クヽリ》媛など言ふよみ[#「よみ」に傍線]の精霊が現れる処に「言ふことあり」「白す言あり」など書いたのは、呪言となつた詞章のあつた事を示してゐるのであらう。又唾を吐いた時に化成した泉津事解之男《ヨモツコトサカノヲ》は、呪言に関係した運命定めの神である。呪咀をとこふ[#「とこふ」に傍線]と言うた事も、とこよ[#「とこよ」に傍線]と聯想があつたのではないかと思はれる。
年の替り目に来た常世神も、邑落生活上の必要から、望まれる時には来る様になつた。家の新築や、田植ゑ、酒占や、醸酒《サカガミ》、刈り上げの新嘗《ニヒナメ》などの場合である。
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くしの神 常世にいます いはたゝす 少御神《スクナミカミ》の 神ほぎ 祝ぎ狃《クル》ほし、豊ほぎ、ほぎ廻《モトホ》しまつり来しみ酒《キ》ぞ……(仲哀記)
掌《タナソコ》やらゝに、拍ち上げ給はね。わがとこよ[#「とこよ」に傍線]たち(顕宗紀、室寿詞の末)
妙呪者《クスリシ》は、常のもあれど、まらひと[#「まらひと」に傍線]の新《イマ》のくすりし……(仏足石の歌)
[#ここで字下げ終わり]
など歌はれた常世神も、全然純化した神とならぬ中に、性格が分化して来た。其善い尊い部分が、高天原の神となり、怖しく醜い方面が、週期的に村を言ほぎ[#「言ほぎ」に傍線]に来る鬼となつた。だから常世《トコヨ》[#(ノ)]思金《オモヒカネ》[#(ノ)]神《カミ》といふ名も、呪言の神が常世から来るとした信仰の痕跡だと言へよう。田植ゑ時に考・妣二体或は群行《グンギヤウ》の神が海から来た話は、播磨風土記に多く見えて居る。椎根津彦《シヒネツヒコ》は蓑笠著て老爺、弟猾《オトウカシ》は箕をかづいて老媼となつて、誓約《ウケヒ》の呪言をして敵地に入り、天[#(ノ)]香山《カグヤマ》の土を持つて帰り、祭器を作つて呪咀をした(神武紀)。此も常世神の俤であつた。
とこよのまれ人[#「とこよのまれ人」に傍線]の行うた呪言が段々向上し、天上将来の呪言即天つ祝詞など言ふ物が行はれて来、呪言の神が四段にも考へられる様になつた事は前に言うた通りである。処が邑落どうしの間に、争ひが起つたり、異族の処女に求婚する様な場合には、呪言が闘はされる。相手の呪言が有勢だつたら、其力に圧へられて呪咀を身に受けねばならぬ。自分の方の呪言に威力ある時は、相手の呪言の威霊を屈服させて、禍事《マガゴト》を与へる事が出来る。此反対に、さうした詞の災ひを却《しりぞ》けて、善い状態に戻す呪力や、我が方へ襲ひかゝつて来た呪咀を撥ね返す能力が考へられて来た。人に「まがれ」と呪ふ側と、善い状態に還す方面とが、一つの呪言にも兼ね備つて居るものと考へ出される。禍津日《マガツヒ》[#(ノ)]神・直日《ナホビ》[#(ノ)]神の対照は、実際は時代的に解釈が変つて来た処から出た呪言の神であつたのだ。「檍原《アハギハラ》の禊《ミソ》ぎ」に、此二位の神が化生したと説くのは、禊ぎ[#「禊ぎ」に傍線]の呪言に、攻守二霊の作用の本縁を物語つてゐたものであらう。
風土記などにも夙く、出雲|意宇《オウ》郡に詔門《ノリト》[#(ノ)]社の名が見えてゐる。其機能は知れぬが、速魂社と並んで居る処を見ると、呪言の闘争判断方面の力を崇めたのではなからうか。其とは別に、延喜式にも既に「左京二条ニ座ス神二座。太詔戸命神櫛真智命神」と載せてゐる。
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……自[#(リ)][#二]夕日[#一]至[#(ル)][#二]朝日照[#(ルニ)][#一][#割り注]※[#「低のつくり」、第3水準1−86−47]万[#割り注終わり]天都詔戸[#(乃)]太詔刀言[#(遠)]以[#(※[#「低のつくり」、第3水準1−86−47])]告[#(礼)]。如此告[#(波)]麻知[#(波)]弱蒜[#(仁)]由都五百篁生出[#(牟)]。……(中臣寿詞)
[#ここで字下げ終わり]
とある文によると、太祝詞とまち
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