つた。
広い用法で言へば、日本古代詞章の中、わりに短い形の物は、鎮護詞章と其舞踊者の転詠――物語の歌から出た物の外は――から出て居ると謂うてよい程である。鎮護詞章は寿詞であるが、同時に、いはひ詞[#「いはひ詞」に傍線]の発生を導いた内的動機の大きなものになつてゐる。中臣の職掌が益向上し、斎部がいはひ[#「いはひ」に傍線]・きよめ[#「きよめ」に傍線]の中心になる様になると、其わき[#「わき」に傍線]に廻るのは、卜部及び其配下であつた。さうして、広成《ヒロナリ》[#(ノ)]宿禰《スクネ》は、斎部の敵を中臣であると考へてゐた様に称せられるけれども、実は下僚の卜部を目ざしたのであつた。斎部の宮廷に力を失うた真の導きは、卜部の祭儀・祭文や、演出をもてはやした時代の好みにある。
斎部・卜部の勢力交迭は、平安朝前期百年の間に在る様だが、さうなつて行つた由来は久しいのである。陰陽道に早く合体して、日漢の呪法を兼ねた卜部は、寺家の方術までも併せて居た。かうして、長い間に、宮廷から民間まで、祭式・唱文・演出の普遍方式としての公認を得る様になつて来た。卜部は、実に斎部と文部との日漢両方式を奪うた姿である。
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