――海から来る水を司る神、作物を荒す精霊との争ひの記憶が大部分に這入つてゐる――さうしたふりごと[#「ふりごと」に傍線]としての効果は、此二首にも、十分に現れて居る。
鹿・蟹が甘んじて奉仕しようとすると言つた表現は、実は臣従を誓ふ形式から発して来たものと解するがよい。私は此二首を以て、飛鳥朝の末或は藤原朝――飛鳥の地名を広くとつて――の頃に、ほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線]の祝言が既に、演劇化してゐた証拠の貴重な例と見る。尚此に関聯して言ひたい事は、呪言の副演の本体は人間であるが、もどき役[#「もどき役」に傍線]に廻る者は、地方によつて違つて居たことを言ひたい。其が人間であつたことも勿論あるが、ある国・ある家の神事に出る精霊役は、人形である事もあり、又鏡・瓢などを顔とした仮りの偶人であつたことも考へてよい根拠が十分にある。
此ほかひ[#「ほかひ」に傍線]の歌の如きは、時代の古いに係らず、其先に尚古い形のあつて、現存の呪言に絶対の古さを持つものゝない事を示して居る。だが同時に、此詠から呪言の中に科白が生じ、其が転じて叙事詩中の抒情部分が成立し、又其独立游離する様になる事の論理を、心に
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