形は、かうした方法で宣《ノ》り施された物なることが知れる。
呪言は一度あつて過ぎたる歴史ではなく、常に現実感を起し易い形を採つて見たので、まれびと神[#「まれびと神」に傍線]の一人称――三人称風の見方だが、形式だけは神の自叙伝体――現在時法(寧、無時法)の詞章であつたものと思はれる。完了や過去の形は、接続辞や、休息辞の慣用から来る語感の強弱が規定したものらしい。神亀元年二月四日(聖武即位の日)の詔を例に見て頂きたい。父帝なる文武天皇は曾祖父、元明帝は祖母、元正帝は母と言ふ形に表され、而も皆一つの天皇《スメラミコト》であつて、天神の顕界《ウツシヨ》に於ける応身《オホミマ》(御憑身)であり、当時の理会では、御孫《ミマ》であつた。日のみ子[#「日のみ子」に傍線]であると共に、みまの命[#「みまの命」に傍線]であると言ふのは、子孫の意ではなく、にゝぎの命[#「にゝぎの命」に傍線]と同体に考へたのだ。おしほみゝの命[#「おしほみゝの命」に傍線]が、大神と皇孫との間に介在せられるのは、みま[#「みま」に傍線]を御孫と感じた時代からの事であらう。聖武帝の御心も、元正帝の御心も、同一人の様な感情や待遇
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